【自著紹介】『ドク と イカロスの翼』
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いわはし書店・真田堂(TEL 075-211-1016)2650円(税込み)
近藤元治(昭和37年卒、京都府立医大名誉教授・学友会顧問)
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このたび【ドク・シリーズ】の第2弾『ドク と イカロスの翼』を出版いたしました。
シリーズ第1弾の『ドクガンと闘う』は、「ドク」と呼ばれる開業医が、祇園に大正時代の終わりからあるバーでカクテルのギムレットを啜りながら、客やマダムから病気の相談を受けるシーンで始まりました。
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かつて「ドク」が勤務していた府立医大を舞台に、ガン患者とのふれ合いの中で「ガン告知」や「尊厳死」「安楽死」を話題にし、また医学生のポリクリ風景で医学教育の内輪をかいま見せるなど、医学・看護学生だけでなく、医学に関係ない方にも話題を呼びました。
この主人公のドクですが、「もしかすると筆者がモデルではないか・・・」と噂されているそうです。 今回ご紹介いたします「第2弾」には、もちろん「ドク」が登場します。ただ前作と異なり医学には無縁のドラマなのですが、読む内にぐいぐい引き込まれて行くとの評判をいただいております。 |
いまNHKテレビで司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』が放映され、話題を集めています。この物語は明治時代の伊予・松山に生まれ、日露戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟と、正岡子規や夏目漱石などの人間模様が生き生きと描かれている名作です。
松山は筆者の故郷です。日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破ったヒーロー・秋山真之は、子供の頃に私の祖祖父が開いていた塾に通っておりました。また祖父は子規や漱石と親交があった文学者で、日露戦争のあと乞われて松山北予中学の校長になられた秋山好古大将に教頭として仕えたそうです。 |
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その『坂の上の雲』に隠されたもう一つの人間ドラマが、『ドクとイカロスの翼』です。ご存じのように、「イカロス(Icarus)」とはギリシャ神話に出てくる若者の名前です。牢獄に閉じこめられていたイカロスは、父親が鳥の羽を集め蝋で固めて作った翼をつけて逃げ出すことができましたが、太陽に近づきすぎたため蝋が溶けて海に落ちて死んでしまうという神話です。そのことから、「イカロス」が「飛行機乗り」とか「向こう見ず」いう意味に使われています。
この「第2弾」では、『坂の上の雲』と同じ時代に、松山から二人の若者がアメリカに渡るところから始まります。1903年ですから、奇しくもライト兄弟の初飛行の年でした。 |
一人は「近藤元久」という青年で、アメリカでいろんなことを経験しながら、ついにカーチス飛行学校の一期生として卒業し、アクロバット飛行で有名になった日本人初の民間飛行家でした。やがて飛行機を携えて日本に帰り、航空ショーを開く予定でしたが、日本海軍から飛行技術を習得するために派遣された3人の海軍士官の世話を頼まれたので帰国のスケジュールが遅れ、臨時に頼まれた新型機のテスト飛行中に墜死しています。彼が28歳のとき、1912年でした。
もし「近藤元久」が帰国して日本の空を舞うことができてい「タラ」、当然ヒーローとして歴史に名を残しただけでなく、日本の航空史も大きく変わっていたに違いありません。日露戦争の日本海海戦で勝利したことから、日本の軍部では永らく巨艦主義が主流で、飛行機への取り組みが遅れていました。そのため零戦のような優れた戦闘機を作りながらも有効活用できず、それが第二次大戦で日本海軍が壊滅したことに連なったと考えられます。
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たまたま「近藤元久」という青年がアメリカで活躍した事実を知った「ドク」が、「なぜ明治時代に大勢の若者がアメリカに渡ったのか? そして元久青年はなぜパイロットを目指したのか?」についての謎解きに夢中になることから物語は佳境に入ります。「ドク」の執念は、ついにニューヨーク郊外にあるカーチス飛行博物館にたどり着き、事故の状況が明らかになりました。ただ、墜落現場を訪れて出会った老婆の話から、「事故の原因に人種偏見があったのではないか?」との疑問が「ドク」の心の中に大きくふくらむのでした。
もう一人は「近藤元照」で、元久の14歳年上の従兄にあたります。アメリカで苦労の末に事業を成功させたのですが、日系二世の野球選手で有名だった息子の「元(はじめ)」が交通事故で脊髄損傷を受け下半身不随に陥るという不幸に見舞われました。 |
そんな頃、折悪しく日本軍の真珠湾攻撃による日米開戦のため、多くの日系人は「敵性外国人」として強制収容所に入れられました。同じ敵性外国人のドイツ人やイタリア人は自由でしたから、人種偏見というか肌の色の違いによる差別が明らかでした。戦争が終わった1945年にファミリーが収容所を出たところまでは米軍の記録で追えたのですが、それ以降の「近藤元照」の足跡がプッツリ途絶え、消息を知ることが出来ませんでした。
もし日米開戦が起こらなけ「レバ」、近藤元照だけで何十万人という日系人の運命も大きく変わっていたに違いありません。 |
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これには後日談があります。筆者の気持ちの中に、「自分と血の繋がった身内がアメリカにいるはずだ」という思いが消えませんでした。それが、全く偶然の機会に、近藤元照の孫(筆者のまた従兄)がフロリダで健在であることがわかり、筆者が現地に飛んで奇跡の対面をすることでドラマが完結したのです。
ちなみに「近藤元久」は筆者の祖父の従弟、「近藤元照」は祖父の弟でした。彼らが辿った数奇な運命を追ったノンフィクションに、ちらっとフィクションのスパイスを効かせたこの物語は、人生についてまわる「タラ」「レバ」を主眼に綴られています。
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是非お読みいただきたく、ここに紹介させていただきました。 |
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登場人物紹介 |
主な登場人物 |
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『御礼の』ことば |
本書の作成にあたり、大勢の皆様にお世話になりました。
先ずは、主人公の近藤元久がアメリカから養母に宛てた手紙や絵はがきの数々を提供いただいた、筆者の従弟にあたる[近藤元脇氏]に御礼を申しあげる。次にカーチス飛行博物館の[カーク・ハウス館長]と、かって父親がカーチス氏の秘書をしていた[ジョン・ホイットニー氏]。近藤元照・元のファミリーの強制収容所以降の追跡に資料をいただいた、ロサンゼルスにある日系アメリカ人ナショナル・ミュージアムの[スノードン・ベッカー氏]。そのベッカー氏の調査で、もしかするとこの人が関係者ではないか・・・・と紹介され、実際は無関係と分かったのだが、ミネソタ在住の[近藤恵作氏]から、在米日本人一世のお話を聞くことが出来た。
さらに、近藤元照の孫であるピーター・近藤・ジュニアを探し出して下さったニューヨーク在住の[百合子・ソーヤー氏]と、父君で筆者の中学時代の恩師[平岡光男氏]には、御礼の申しようがない。
また、インターネットで資料を集めてくれ、本書では「涼子」として登場している筆者の従姉の娘でフリー・アナウンサーの[星野亮子氏]。各種の古い資料を探し出していただいた、かっての京都府立医大附属図書館の同僚の[中野文子氏]と[宮本小夜子氏]。
飛行神社の神職で墜死した近藤元久の資料を提供して下さった[國友雅生氏]。松山南高校の同級生で緑星堂書店の[福岡玲子氏]、ご子息が愛媛新聞社に勤めておられる「神田みな子氏]と、文章の校正を手伝ってもらった[青山敬子氏]にも感謝を申し上げたい。
このほか、「正岡子規と夏目漱石の交流のこと」は祖父・近藤元晋(我観)の記述から、また「お囲い池のエピソードの数々」は父・近藤元家が愛媛新聞社に執筆したコラムから、それらと共に「ロシア人墓地」などの資料は兄・[近藤元規]の記事を参考にした。
そして、いつもながら私の執筆活動に際して常に的確なアドバイスをいただき、本書でも登場してもらった親友の[岩崎健太郎氏]なくしては、とても出版に漕ぎつけることは叶わなかったに違いない。
筆者 |
新聞記事掲載 |
愛媛新聞 2010年(平成22年)2月9日 火曜日 |
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日本の民間人2番目の飛行家
近藤元久 米に散った大志
明治期、夢を抱き松山から米国に渡った青年がいた。飛行機の黎明(れいめい)期にカーチス飛行学校の1期生として学び、日本の民間人として2番目に飛行家となった近藤元久(1885~1912年)。飛行技術を身に付け、帰国する直前、新型機の試験飛行で命を落とした。
いとこの孫 近藤元治さん(松山出身)
調査10年 小説風に描く
元久のいとこの孫に当たる松山市出身の京都府立医大名誉教授、近藤元治さん(73)=京都市左京区=が足跡を10年かけて調査。資料や時代背景を基に、元久らの生き方を小説風に描いた「ドクとイカロスの翼」(いわはし書店・真田堂、2650円)を出版した。
10年前、大学病院長を定年退職した近藤さんは、机の片付けをしていて新聞の切り抜きを見つけた。気になって取っていた京都府八幡市の飛行神社の記事。訪ねてみると元久のコーナーがあった。
確か松山に墓があった。親類から「米国で飛行機乗りになったが、若くして死んだ」と聞いたことがある。「身内も忘れてしまっている。調べて足跡を残したい」と思った。
元久は、小説・坂の上の雲で、秋山好古とともに大阪へ出た漢学者近藤元粋(南州)の次男として大阪で生まれた。その後、伯父の養子となり松山で暮らしていたが1903年10月、米国へ渡った。
もう一人、気になる人物がいた。元久の14歳年上のいとこで、約7ヵ月前に渡米した近藤元照。近藤さんの祖父の弟にあたる元照を「自由人」と評し「勘当されたのか、元照さんの話は聞いたことがなかった」と言う。
近藤さんは、明治期の新聞やインターネットなどで手がかりを得て、米国のカーチス飛行博物館、墜落事故現場にも赴いた。元照については消息がプツリと切れたままだったが2007年、ネットの人捜しサイトを通じて孫と連絡がつき、フロリダで会うことができた。「奇跡でした」と近藤さんは振り返る。
欧米に肩を並べようと近代国家への道を歩んでいた日本。大志を抱き海を渡った若者の姿に加え、人種差別を受け、太平洋戦争によって収容所生活を強いられた日系移民の苦難の歴史も調査課程で浮かび上がった。
近藤さんは、自らの分身として開業医「ドク」を登場させ、自らのルーツをたどる旅をするという設定で執筆に取り組んだ。これまで医学書は10冊以上書いてきたが、初めての分野への挑戦。「もし、事故がなければ、日米開戦がなければ、2人の人生は変わっていたのではないか」-そんな思いを抱きながら書き上げた。 |
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近藤元治京都府立医科大学名誉教授の著書へ |
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