百人一首の風景                18    19
百人一首の風景 大阪市 住の江 古今集
18藤原敏行朝臣 住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通い路 人目よくらむ

阪本桃水(純子)書
歌意
住の江の岸に寄る波ではないが、昼はやむをえないにしても、よる(夜)までも、夢の中の通い路で、あの人は人目を避けるのであろうか。

歌の背景
人目を忍ぶ恋というのは、つらいものである。作者は男性であるが、男性が来るのを待つ女性の不安な気持ちを表している。
昼間はもちろん、夜の夢の中でも、どうして人目を避けて会ってはくれないのかと、嘆いている。

作者プロフィール
藤原敏行朝臣
按察使富士麿の子。字が上手で、京都の神護寺の釣鐘に銘文を残している。

歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑説明碑

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
藤原 敏行(ふじわら の としゆき)
藤原 敏行(、生年不詳 - 延喜7年(907年)または延喜元年(901年))は、平安時代前期の歌人・書家・貴族。藤原南家、藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麻呂の子。官位は従四位上・右兵衛督。三十六歌仙の一人。

経歴
貞観8年(866年)少内記。大内記・蔵人を経て、貞観15年(873年)従五位下に叙爵し、中務少輔に任ぜられる。のち、清和朝では大宰少弐・図書頭、陽成朝では因幡守・右兵衛佐を歴任し、元慶6年(882年)従五位上に叙せられた。仁和2年(886年)右近衛少将。
宇多朝では、寛平6年(894年)右近衛権中将、寛平7年(895年)蔵人頭と要職を歴任し、寛平8年(896年) 正月に従四位下に叙せられるが、同年4月病気により蔵人頭を辞任した。
寛平9年(897年)7月に醍醐天皇の即位に伴って、春宮亮を務めた功労として従四位上に叙せられ、同年9月に右兵衛督に任ぜられた。
Wikipediaより引用

百人一首の歌碑 阿弥陀寺 住吉大社
2015年6月15日写真撮影

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