百人一首の風景               68    69
百人一首の風景 三条院 心にも 世の中 後拾遺集
68三条院 心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

阪本桃水(純子)書
歌意
自分の本心とはちがって、このつらいことの多い世に生き長らえていたら、そのときはきっとなつかしく思い出されるであろうこの夜ふけの美しい月であることよ。

歌の背景
生きていることのつらさを歌った一首である。この歌は、天皇の位を退くことを決意した時、明るい月を見て詠んだといわれる。
作者プロフィール
.三条院
976年~1017年
冷泉天皇の第二皇子。25年間も皇太子として過ごし、36歳で天皇になる。5年で位を譲り、翌年亡くなる。

三条天皇(さんじょうてんのう)
三条天皇(天延4年1月3日(976年2月5日) ~ 寛仁元年5月9日(1017年6月5日)は第67代天皇。諱は居貞(おきさだ / いやさだ)。享年42。在位は寛弘8年6月13日(1011年7月16日)から長和5年1月29日(1016年3月10日)まで。

略歴
冷泉天皇の第二皇子。冷泉天皇が弟・守平親王(円融天皇)に譲位してから7年後、天延4年(976年)に冷泉上皇と、女御藤原超子の間に生まれた。その超子の父は当時正三位権大納言であった藤原兼家である。
七歳で母を失い、父帝・冷泉上皇は精神病を患っていたため、その後見は薄弱であった。外祖父兼家に容姿が酷似し風格があったといい、兼家の鍾愛を受けて育ったことが『大鏡』に見える。
長和3年(1014年)三条天皇は眼病を患う。仙丹の服用直後に視力を失ったといわれる。道長は天皇の眼病を理由にしきりに譲位を迫った。更にこの年と翌年、内裏が相次いで焼失。病状の悪化もあり、同5年(1016年)三条天皇は皇后娍子の子敦明親王の立太子を条件に、道長の勧めに従い退位し、後一条天皇が即位した。翌寛仁元年(1017年)4月に出家し、程なく42歳で崩御した。

Wikipediaより引用

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