百人一首の風景                57    58
百人一首の風景  紫式部の世界 宮中 源氏物語
57紫式部 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな 

阪本桃水(純子)書
歌意
 久しぶりでめぐりあって、昔見たなつかしいその月かどうかと、はっきり見分けもつかないうちに、たちまち雲間にかくれてしまった夜半の月の光よ、たちまち帰ってしまわれたあの人よ。

歌の背景
幼馴染の友達と久し振りに会ったのに、ゆっくり話もできずに帰ってしまった時の歌である。
一瞬姿を見せ、すぐにまた雲の間に隠れてしまう月に隠れてしまう月に例えて、表現している。
作者プロフィール
 紫式部(むらさきしきぶ)
紫式部(推測979年頃生~1016年頃没)は、平安中期の女流作家、歌人。源氏物語の作者として有名。三十六歌仙の一人。藤原北家の出で、女房名は「藤式部」。「紫」の称は「源氏物語」の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部大丞だったことに由来する。
 父は越後守藤原為時、母は摂津守藤原為信の娘。紫式部は娘時代の約2年を父の任地で過ごし、998年頃山城守藤原宣孝と結婚、一女・藤原賢子を儲けたが、まもなく宣孝と死別。1005年一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えた。
 幼少の頃より、漢文を読みこなしたなど、才女としての逸話が多い。五十四帖にわたる「源氏物語」、宮仕え中の日記「紫日記」を著した。


歌碑(長神の杜)

歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

紫式部(むらさきしきぶ)
紫式部(生没年不詳)は、平安時代中期の女性作家、歌人。『源氏物語』の作者と考えられている。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。『小倉百人一首』にも「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」で入選。

略歴
屈指の学者、詩人である藤原為時の娘。藤原宣孝に嫁ぎ、一女(大弐三位)を産んだ。夫の死後、召し出されて一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えている間に、『源氏物語』を記した

藤原北家の出で、越後守・藤原為時の娘で、母は摂津守・藤原為信女であるが、幼少期に母を亡くしたとされる。同母の兄弟に藤原惟規がいる(同人の生年も不明であり、式部とどちらが年長かについては両説が存在する)ほか、姉がいたことも分かっている。三条右大臣・藤原定方、堤中納言・藤原兼輔はともに父方の曽祖父で一族には文辞を以って聞こえた人が多い。
幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で漢文を読みこなしたなど、才女としての逸話が多い。54帖にわたる大作『源氏物語』、宮仕え中の日記『紫式部日記』を著したというのが通説、家集『紫式部集』が伝わっている。
父・為時は30代に東宮の読書役を始めとして東宮が花山天皇になると蔵人、式部大丞と出世したが花山天皇が出家すると失職した。10年後、一条天皇に詩を奉じた結果、越前国の受領となる。紫式部は娘時代の約2年を父の任国で過ごす。
長徳4年(998年)頃、親子ほども年の差がある山城守・藤原宣孝と結婚し長保元年(999年)に一女・藤原賢子(大弐三位)を儲けたが、この結婚生活は長く続かずまもなく長保3年4月15日(1001年5月10日)宣孝と死別した。

Wikipediaより引用

紫式部関連名所
石山寺 源氏物語執筆の場所
紫式部公園 越前国府のあった福井県越前市に建てられた
宇治市 源氏物語ミュージアム
伝紫式部墓 京都市北区紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)

写真撮影

所在地 滋賀県
交 通 最寄駅 JR     

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