百人一首の風景                74    75
百人一首の風景 奈良県桜井市 初瀬 山おろし 冬 千載集
74源俊頼朝臣 憂かりける 人をはつせの 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを

阪本桃水(純子)書
歌意
 自分につれなくしてきた人を、どうか私になびかせてくださいと初瀬寺の観音に祈りはしたが、初瀬の山から吹き降ろす山おろしの風よ、そのように、あの人がますます激しくつらくなれとは私は決して祈りはしなかったのに。


長谷寺
作者プロフィール
源俊頼朝臣
1055年~1129年
大納言経信の子。堀河天皇の音楽を演奏する楽人となり、和歌の才能も認められ、「金葉和歌集」の撰者となった。


背景
親しくなりたくて、『冷たい人が自分に振り向いてくれますように」と観音様にお祈りしたけれど、一層つらく当たるようになってしまったというのである。願いがかなえられなかったことを、山から吹き降ろす「山おろし」に呼びかけて、「はげしかれ」などとは祈らなかったのにと、ひどく嘆いている。

歌碑

歌碑
初瀬
初瀬(はせ)は、奈良県桜井市の東部(国道165号線沿い)に位置しています。古くは「はつせ」と呼ばれ、雄略天皇が初瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)を置き、用明天皇の時代に飛鳥へ遷都するまで都でした。

紅梅の樹

所在地 奈良県
交通 近鉄大阪線
源 俊頼(みなもと の としより)
源 俊頼(1055年~1129年1月22日)は、平安時代後期の官人・歌人。宇多源氏。大納言・源経信の三男。官位は従四位上・木工頭。

10歳代より一時期修理大夫・橘俊綱の猶子となる。篳篥に優れ、はじめ堀河天皇近習の楽人として活動し、1078年の『承暦内裏歌合』には楽人として参加している。
1095年に父・経信が大宰権帥に任ぜられたため、父ともに大宰府へ下向するが、1097年経信の死去に伴い帰京する。その後は、堀河院歌壇の中心人物として活躍し、多くの歌合に作者・判者として参加するとともに、『堀河院百首』を企画・推進した。1124年、白河法皇の命により『金葉和歌集』を撰集。藤原基俊とともに当時の歌壇の中心的存在であった。歌風としては、革新的な歌を詠むことで知られた。
『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集に201首入集。『金葉和歌集』(35首)・『千載和歌集』(52首)では最多入集歌人となっている。
右近衛少将・左京権大夫などを歴任し、1105年に従四位上・木工頭に叙任、1110年越前介を兼任。

奈良県桜井市初瀬地区

初瀬165号線

旅館街

初瀬川

長谷寺門前

長谷寺
写真撮影2008年5月24日

長谷寺(はせでら)
長谷寺は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。寺紋は輪違い紋。

大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。


嵐山東公園(総合公園)桂川河畔の豊かな自然に抱かれて
嵐山公園中ノ島地区から、下流にある松尾橋にかけて、河川敷一帯に広がるのが嵐山東公園。
嵐山公園と並んで公園としての歴史は古く、昔から多くの京都府民に親しまれてきた。
季節ごとに表情を変える美しい自然に調和した公園内には、マツやサクラ、カエデ、エノキ等の美しい木々が生い茂り、おおらかな景観と素朴な雰囲気が、訪れる人の心をなごませている。

上流部は散策広場として芝生や池などが整備された憩いの場となっており、中流部は3面の野球場がある運動広場。緑と親しみながらスポーツを楽しむことができる。また下流部に広がる児童広場は、散策やジョギング、犬の散歩など、主に地元の人の利用が盛んで、近くには、お酒の神様として知られる松尾大社がある。
さらに、公園に隣接して東側には八幡市にまで伸びるサイクリングロードが、西側には東海自然歩道の一部が通っている。
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