百人一首の風景          19    20
百人一首の風景 大阪市 難波潟
19伊勢 難波潟 短き葦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや

阪本桃水(純子)書
歌意
難波潟に生えているあしの、あの短い節と節との間、そのように短い間であっても、あなたに会わないで、この世を過ごせとおっしゃるのですか。
この歌は、会いに来てくれない男性への思いを、難波潟に生える葦の節と節の短さにたとえた歌である。
伊勢 新古今集・恋一


歌の背景
この歌は、会いに来てくれない男性への思いを、難波潟に生える葦の節の短さに例えた歌。恋人からの便りに対する返事の歌だっと云われている。
伊勢は、歌人として評価が高かっただけでなく、美しいうえに気立てがよく、恋多き女性であった。
「ふしの間」に、葦の「節」と「節」の間の短さと、ほんのわずかな時間、という2つの意味を持たせている。「あしのふしの間」は、短いことを表す言葉として使われている。
作者プロフィール
伊勢(877年~938年)
伊勢守藤原継蔭(つぐかげ)の娘。宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕え、温子の兄の仲平との恋に破局。その後、宇多天皇の皇子を生み、伊勢御息所(みやすどころ)となった。その後、宇多天皇の皇子敦慶親王とも結ばれ、女流歌人の中務(なかつかさ)を生んでいる。 三六歌仙の一人。

歌碑(長神の杜)

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
伊勢 (いせ)
伊勢 (872年(貞観14年)頃 ~ 938年(天慶元年)頃)は、平安時代の女性歌人。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭の娘。伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所とも呼ばれた。

生涯
はじめ宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、藤原仲平・時平兄弟や平貞文と交際の後、宇多天皇の寵愛を受けその皇子を生んだが早世した。その後は宇多天皇の皇子敦慶親王と結婚して中務を生む。宇多天皇の没後、摂津国嶋上郡古曽部の地に庵を結んで隠棲した
情熱的な恋歌で知られ、『古今和歌集』(22首)以下の勅撰和歌集に176首が入集し、『古今和歌集』・『後撰和歌集』(65首)・『拾遺和歌集』(25首)では女流歌人として最も多く採録されている。また、小倉百人一首にも歌が採られている。家集に『伊勢集』がある。
Wikipediaより引用

大阪市淀川周辺
今の大阪湾の入り江の部分のこと。昔は干潟が広がり、葦がたくさん生えていて、名所のひとつになっていた。「潟」は潮が引いた時に干潟になる遠浅の海のことである。

【難波潟】   
難波潟は、大阪湾の入り江のあたりの遠浅の海を指す。大阪市・淀川の下流、長江橋のあたりには、昔の難波潟の風情が見られる。現在の大阪湾には、USJや海遊館などをはじめ、多くのレジャー施設やビジネス施設が建ち並んでいる。
写真撮影

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(担当 / 阪本)