百人一首の風景                  
百人一首の風景 大阪市 難波潟
19伊勢 難波潟 短き葦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや

阪本桃水(純子)書
歌意
難波潟に生えているあしの、あの短い節と節との間、そのように短い間であっても、あなたに会わないで、この世を過ごせとおっしゃるのですか。
この歌は、会いに来てくれない男性への思いを、難波潟に生える葦の節と節の短さにたとえた歌である。
伊勢 新古今集・恋一
大阪市淀川周辺
今の大阪湾の入り江の部分のこと。昔は干潟が広がり、葦がたくさん生えていて、名所のひとつになっていた。「潟」は潮が引いた時に干潟になる遠浅の海のことである。

【難波潟】   
難波潟は、大阪湾の入り江のあたりの遠浅の海を指す。大阪市・淀川の下流、長江橋のあたりには、昔の難波潟の風情が見られる。現在の大阪湾には、USJや海遊館などをはじめ、多くのレジャー施設やビジネス施設が建ち並んでいる。
作者プロフィール
伊勢(877年~938年)
伊勢守藤原継蔭(つぐかげ)の娘。宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕え、温子の兄の仲平との恋に破局。その後、宇多天皇の皇子を生み、伊勢御息所(みやすどころ)となった。その後、宇多天皇の皇子敦慶親王とも結ばれ、女流歌人の中務(なかつかさ)を生んでいる。 三六歌仙の一人。

写真撮影

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(担当 / 阪本)