百人一首の風景                76    77
百人一首の風景 法性寺入道前関白太政大臣 わたの原 旅の歌
76法性寺入道前関白太政大臣 わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波

阪本桃水(純子)書
歌意
ひろびろとした海原に舟をこぎ出して見わたすと、そのかなたの沖の方には、真っ白な雲と見まちがえてしまいそうな沖の白波が立っていますよ。


歌の背景
崇徳天皇の前で行われた歌会で、「海上の遠望」の題をあたえられて詠んだ歌とされる。
作者プロフィール
法性寺入道前関白太政大臣
1097年~1164年
本名は、藤原忠通。藤原忠実(ただざね)の子。大僧正慈円の父。詩や書の才能もあり、後出家した。


歌碑(二尊院門前長神の杜)

歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

藤原 忠通(ふじわら の ただみち)
藤原 忠通は、平安時代後期から末期の公卿。従一位・摂政 関白・太政大臣。通称は法性寺関白(ほっしょうじ かんぱく)。小倉百人一首では法性寺入道前関白太政大臣。

摂政関白太政大臣藤原忠実の長男。
生涯
1103年、大江匡房の名付により「忠通」と称する。1107年、元服し白河法皇の猶子となる。1114年、白河法皇の意向により法皇の養女の藤原璋子(閑院流・藤原公実の娘)との縁談が持ち上がるが、璋子の素行に噂があったこともあり、父・忠実はこの縁談を固辞し破談となる。1121年、法皇の勅勘をこうむり関白を辞任した忠実に代わって藤原氏長者となり、25歳にして鳥羽天皇の関白に就任。その後も崇徳・近衛・後白河の3代に渡って摂政・関白を務めることとなった。摂関歴37年は高祖父・頼通の50年に次ぐ。また太治4年(1129年)、正妻腹の娘・聖子を崇徳天皇の後宮に女御として入内させ、翌5年(1130年)、聖子は中宮に冊立された。崇徳帝と聖子との夫婦仲は良好だったが子供は生まれず、保延6年(1140年)9月2日、女房・兵衛佐局が崇徳帝の第一皇子・重仁親王を産むと、聖子と忠通は不快感を抱いたという。保元の乱で崇徳上皇と重仁親王を敵視したのもこれが原因と推察される。

Wikipediaより引用

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