百人一首の風景                50    51
百人一首の風景 君がため 恋歌 後拾遺集
50藤原義孝 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

阪本桃水(純子)書
歌意
あなたのためには死んでも惜しくないと思っていた私の命までが、お会いした今は、いつまでも長く続いてほしいと思ったことです。

背景
恋人に会った後、家に帰り、その朝に恋人へおくる歌を、「後朝(きぬぎね)の歌」といい、思いを募らせていた女性にようやく気持ちが通じ、初めて一夜をともに過ごした後におくった歌である。
会うためなら命を捨ててもいいと思いつめていたけれど、一度会ってからは、この女性を愛するために、少しでも長く行きたいと願うようになったという。
作者プロフィール
.954年~974年
藤原義孝
藤原伊尹(これただ)の子。病気のために僅か21歳で亡くなった。
歌碑 百人一首50藤原義孝
歌碑

歌碑説明文
歌碑 小倉百人一首文化財団建立
歌碑 小倉百人一首文化財団建立

藤原 義孝(ふじわら の よしたか)
藤原 義孝は、平安時代中期の公家・歌人。摂政・太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)。中古三十六歌仙の一人。子に三蹟の一人藤原行成がいる。

生涯
侍従・左兵衛佐・春宮亮を歴任した後、971年右少将に任官。972年には正五位下に叙せられる。974年当時流行した疱瘡にかかり、兄・挙賢と同日に21歳の若さで没した。
人物
仏教への信仰心が篤かった。また、美貌で知られ、疱瘡で顔に傷痕が残って醜くなり自殺したとも言われている。怨霊になったという伝説もある。
『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に12首が入集。家集に『義孝集』がある。
義孝の信仰心を示す逸話として、以下のようなものがある。
病気で危篤になった際、一旦自らが息を引き取っても『法華経』を誦えるためにしばらく生き長らえるので、通常通りの葬儀の作法で死者扱いしないように母親に依頼した。
・賀縁(阿闍梨)や藤原実資は、義孝が極楽に往生している夢を見た。
・義孝は夜中に世尊寺の邸宅に戻ると、礼拝の言葉を発しながら、西の方を向いて何度も拝礼していた。
Wikipediaより引用
写真撮影

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