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百人一首の風景 二条院讃岐 わが袖 恋歌 千載集
92二条院讃岐 わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らぬ 乾く間もなし

阪本桃水(純子)書
歌意
私の袖は、潮干の時でも見えない沖の石のように、人は知らないけれど、いつもあの人を思う涙に濡れていて乾く暇もありません。

歌の背景
人に言えない恋をしている女性のつらい気持ちを歌っている。潮の満ち引きにかかわりなく、海の底にあって、ぬれている沖の石のように、自分のそでも人に気づかれることなく、涙でぬれ続けているというのである。
作者プロフィール
二条院讃岐
源頼政の娘。二条院に仕えた後、藤原重頼と結婚。その後、後鳥羽天皇の中宮にも仕え、のちに出家した。
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歌碑

歌碑
二条院讃岐(にじょういんのさぬき、
二条院讃岐(生没年不詳)1141年(永治元年)頃 ~ 1217年(建保5年)以降は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人である。女房三十六歌仙の一人。父は源頼政。母は源斉頼の娘。同母兄に源仲綱があり、従姉妹に宜秋門院丹後がいる。内讃岐、中宮讃岐とも称される。

経歴
二条天皇即位と同じ頃に内裏女房として出仕、1159年(平治元年、19歳頃)以降度々内裏和歌会(「内の御会」)に出席し、内裏歌壇での評価を得た
二条院に最後まで仕え、崩御後に藤原重頼と結婚、重光・有頼らの母となった。1190年(建久元年)頃、後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に再出仕。
1172年(承安2年、32歳頃)に『歌仙落書』で高く評価される等、歌壇とのつながりは保っていたようだが、1200年(正治2年、60歳頃)の初度百首で数十年ぶりに歌壇への本格復帰を果たした。この頃には既に出家している。晩年には父頼政の所領であった若狭国宮川保の地頭職を継いでいる他、伊勢国の所領をめぐる訴訟で高齢を押して鎌倉出訴の旅に出る等の事跡もある。これらを縫って歌人としての活動は継続し、1216年(建保4年、76歳頃)の『内裏歌合』まで健在だったことが確認できる。『千載和歌集』以降の勅撰集、『続詞花集』・『今撰集』等の私撰集、家集『二条院讃岐集』等に作品を残している。

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