百人一首の風景               55    56
百人一首の風景 京都市 名こその滝 拾遺集
55大納言公任(藤原公任) 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 

阪本桃水(純子)書
歌意
滝の流れ落ちる音は、聞こえなくなってからずいぶん長い年月がたってしまったが、すばらしい滝であったという評判のほうは、世間に流れ伝わって、今なお聞こえている。
大納言公任(藤原公任)。

歌の背景
嵯峨天皇の離宮であった嵯峨野の大覚寺で、滝の跡を見た詠んだ歌。大沢池にそそいでいた滝は、特別な風景であったが、大納言公任の時代には、かれてしまっていた。公任は、その滝のように、のちの世にまで名前を残したいと思ったのかもしれない。
作者プロフィール
大納言公任(だいなごん きんとう)
藤原公任(966年〜1041年)
は関白藤原頼忠の子、祖父は実頼、祖祖父忠平です。和歌だけでなく、音楽・漢文の才能にも恵まれ、「拾遺集」や「和漢朗詠集」の本をまとめられた。

歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑案内文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
藤原 公任(ふじわら の きんとう)
藤原 公任(966年〜1041年)は、平安時代中期の公卿・歌人。関白太政大臣藤原頼忠の長男。小倉百人一首では大納言公任。

生涯
祖父・実頼、父・頼忠ともに関白・太政大臣を務め、母(醍醐天皇の孫)・妻(村上天皇の孫)ともに二世の女王。また、いとこに具平親王、右大臣藤原実資、書家藤原佐理がおり、政治的にも芸術的にも名門の出である。関白の子として天元3年2月15日に内裏にて円融天皇自らの加冠により元服して異例の正五位下が授けられる(『日本紀略』・『扶桑略記』、ただし後者には同3年条に誤って入れられている)など、将来が期待されていた。
政治的には、当時藤原北家の嫡流は皇室の外戚の座を失った小野宮流から九条流に移っていたことから、官位は正二位権大納言に止まったが、九条流の藤原道長の意を進んで迎え、優れた学才により一条天皇の治世を支え、藤原斉信、源俊賢、藤原行成とともに「一条朝の四納言」と称された。
道長が対抗意識を燃やしたという逸話もあるが、実際には寛和2年6月10日の内裏歌合で若手貴族の代表として道長・斉信ともに選ばれるなど、青年時代から共に行動することが多かった。また、実際に四納言の中で唯一、道長が政権の座に就く以前に参議に昇進している(正暦3年(992年)8月)。
Wikipediaより引用

名こその滝
京都・嵯峨・大覚寺の庭園にある滝を詠んだもの
写真撮影2008年5月13日

所在地 京都府京都市
交 通 最寄駅 
          

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(担当 / 阪本)