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百人一首の風景  滋賀県大津市大谷町 逢坂の関 旅
10蝉丸  これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関

阪本桃水(純子)書
歌意
ここがまあ、あの東国へ行く者も、都へ帰る者もここで別れ、また知っている者も知らない者も、ここで会うという逢坂の関なのだなあ。
蝉丸

歌の背景
「出会いと別れ」は、人が生と死を繰り返すという仏教の考えであり、絶えず移り変わることにもつながる。
関所の賑わいだけでなく、別れの悲しさまでが感じられるようである。
作者プロフィール
蝉丸
「今昔物語集」によると、宇多天皇の皇子の雑役夫だったと書かれている。

歌碑(野宮広場)

歌碑説明碑

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

歌碑

関蝉丸神社

関蝉丸神社拝殿・本殿
ゆかりの地
逢坂の関は、百人一首をはじめ多くの歌に詠まれ、歌枕の中でも有名、山城国と近江国の境を成す逢坂山にあり、古来から畿内と東国とを結ぶ交通の要衝である。
逢坂の関跡の石碑は、京都側から国道1号線を進むと峠を上りきったところの横断歩道のところにある。
関蝉丸神社は、歌舞音曲・芸能の祖神として崇められ、盲目だった蝉丸が開眼する逸話にちなみ、眼病に霊験あらたかで、髢(かもじ〈髪の毛のこと〉)の祖神ともいわれている。その人物像は不詳であるが、醍醐天皇の第四皇子、あるいは宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色などとも伝えられ、琵琶の名器・無明を愛用していたといわれている。生没年も不詳ながら、旧暦の五月二十四日は「蝉丸忌」とされている。また、下社の祭神・豊玉姫命は、福を招き出世を約束する女神で、縁結び・安産・子孫繁栄の神として敬われている。なお、海神の娘である豊玉姫命は水霊信仰とも深く関係している。

蝉丸と関蝉丸神社

関蝉丸神社境内

逢坂の関石碑

石灯篭

謡曲蝉丸

石灯籠
蝉丸(せみまる、生没年不詳)は、平安時代前期の歌人、音楽家。
管弦の名人であった源博雅が逢坂の関に住む蝉丸が琵琶の名人であることを聞き、蝉丸の演奏を何としても聴きたいと思い、逢坂に3年間通いつづけ、遂に8月15日夜に琵琶の秘曲『流泉』『啄木』を伝授されたという(『今昔物語集』巻第24 第23話)。他にも蝉丸に関する様々な伝承は『今昔物語集』や『平家物語』などにも登場している。
特に、
・能に『蝉丸』(4番目物の狂女物)という曲がある。逆髪という姉が逢坂の関まで尋ねてきて、2人の障害をもった身をなぐさめあい、悲しい別れの結末になる。この出典は明らかでない。
近松門左衛門作の人形浄瑠璃にも『蝉丸』がある。蝉丸は女人の怨念で盲目となるが、最後に開眼する。
・百人一首カルタの絵札では、禿げ上がった後頭部が露呈した後ろ向きの姿や、帽子(もうす)を被った姿といった、いわゆる「坊主」の絵札の中では唯一、特徴的な姿で描かれることが多いため、坊主めくりなどの遊びでは、トランプでいうジョーカーに相当する札とされる場合がある。
2015年8月1日写真撮影

関蝉丸神社
上社
〒520-0054 滋賀県大津市逢坂一丁目 20
下社
〒520-0054 滋賀県大津市逢坂一丁目15-6 


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(担当 / 阪本)