百人一首の風景                27    28
百人一首の風景 京都府木津川市例幣 新古今集
27中納言藤原兼輔 みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ
27中納言藤原兼輔 みかの原
阪本桃水(純子)書
歌意
みかの原を二つに分けて流れる泉川、その名のように、いつ見たというのであの人のことがこんなに恋しいのだろうか。
中納言兼輔(藤原兼輔)
(新古今集) 

みかの原
作者プロフィール
中納言兼輔(藤原兼輔・877年〜933年)は、平安中期の公家・歌人です。父は藤原利基、息子の雅正・清正は共に勅撰集入集歌人、紫式部は曾孫にあたります。
官位は従三位中納言兼右衛門督に至り、和歌・管弦に優れ、三十六歌仙の一人です。
みかの原 いづみ川
 加茂町へ入ると、背後に山並みを控え、急に明るい野が開けます。この小盆地を「みかの原」と呼んだのは上代からで、天平の頃、ひととき都となった所です。ごく短いものでしたが、恭仁京(くにのみやこ)と言われ、聖武天皇が繰り返した遷都のひとつです。恭仁宮跡は加茂町例幣(れいへい)にあります。ここは町制移行まで瓶原(みかのはら)村でした。
 上代、ここを流れる木津川を「泉川」と呼び、雄大な水景はいくつもの歌の題材になり、歌枕として残っています。

歌碑(二尊院門前長神の杜)

歌碑説明碑

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

歌碑

恭仁大橋
主要地方道 奈良加茂線
(恭仁大橋). く. に お お は し.
(木津川市加茂町北〜 岡崎).

木津川
藤原 兼輔(ふじわら の かねすけ)
藤原 兼輔(元慶元年(877年)〜 承平3年2月18日(933年3月21日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、右中将・藤原利基の六男。官位は従三位・中納言。また賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言とよばれた。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言兼輔。

経歴
醍醐天皇の外戚であったことから、その春宮時代より仕え、寛平9年(897年)に醍醐天皇が即位すると昇殿を許される。醍醐天皇に非蔵人として仕える傍ら、讃岐権掾・右衛門少尉を経て、延喜2年(902年)従五位下に叙せられる。
延喜3年(903年)内蔵助に抜擢されたのち内蔵寮の次官次いで長官を務める傍ら、左兵衛佐・右衛門佐・左近衛少将といった武官や五位蔵人を兼任して引き続き天皇の側近として仕え、またこの間、延喜10年(910年)従五位上、延喜15年(915年)正五位下、延喜16年(916年)従四位下と順調に昇進する。延喜17年(917年)蔵人頭、延喜19年(819年)左近衛権中将を経て、延喜21年(921年)に参議として公卿に列した。延長5年(927年)従三位・権中納言に至る。
承平3年(933年)2月18日薨去。享年57。最終官位は権中納言従三位行右衛門督。
Wikipediaより引用)

加茂町例幣地区

JR加茂駅

木津川

恭仁宮跡

恭仁宮の説明
写真撮影2008年5月25日

所在地 京都府木津川市加茂町例幣
交 通 最寄駅 JR加茂駅下車徒歩20分
     国道163号線沿い
     


恭仁宮大極殿跡

恭仁宮大極殿説明
 

海住山寺

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