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百人一首の風景  滋賀県大津市大谷町 逢坂山 後撰集
25三条右大臣 名にし負わば あふ坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

阪本桃水(純子)書
歌意
「逢坂山のさねかづら」は、会って寝るという名を持っているのなら、そのさねかずらを手繰ればくるように、人の知られないで、会いに来る方法があればいいのに。

歌の背景
「逢坂山」と「逢う(会う)」、「さねかづら」の「ね」と「寝」をかけて、好きな人と会って夜を過ごすという意味。
平安時代の結婚は、男性が女性の家へ通う「通い婚」。基本的に、両方の親に認めて貰ってから、3日間、続けて通って来れば、結婚が成立した。
夜に訪れたら、夜明け前に帰らなければならないという決まりがあった。これを「後朝(きぬぎぬ)の別れ」といい、帰ったらすぐに、相手の女性に手紙(歌)をおくった。それが早ければ早いほど「女性を気に入った」と示すことになる。
作者プロフィール
三条右大臣(藤原定方)
873年~932年
本名は、藤原定方。藤原高藤の子、醍醐天皇の時代には、中納言兼輔と並んで和歌の中心的存在となった。

歌碑(嵐山野宮広場)

歌碑案内文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
ゆかりの地
所在地 滋賀県大津市大谷町22
交  通 京阪京津線大谷駅下車
      徒歩3分
名神高速道路京都東IC又は大津IC下車10分
三条右大臣
藤原 定方(ふじわら の さだかた、貞観15年(873年) - 承平2年8月4日(932年9月11日))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。内大臣藤原高藤の次男。醍醐天皇の外叔父。官位は従二位・右大臣、贈従一位。三条右大臣と号す。

経歴
寛平4年(892年)に内舎人への任官をはじめに、寛平7年(895年)陸奥掾、翌年には従五位下尾張権守に叙任。寛平9年(897年)には甥の敦仁親王(醍醐天皇)の即位に伴い右近衛少将と累進を重ねた。
その後は相模権介などの地方官を歴任し、昌泰4年(901年)には従五位上左近衛少将に叙任された。その翌年の延喜2年(902年)には正五位下、延喜6年(906年)には従四位下・権右中将となった。
延喜9年(909年)には参議として公卿に列し、延喜10年(910年)備前守、従四位上に昇叙。延喜13年(913年)には従三位・中納言となり、同年4月には左衛門督を兼帯した。延喜20年(920年)大納言、翌延喜21年(921年)には正三位。延長2年(924年)右大臣、延長4年(926年)従二位に至り、承平2年(932年)に60歳で没。死後の8月10日従一位を追贈された。三条に邸宅があったことから三条右大臣と呼ばれた。
Wikipediaより引用

写真撮影

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(担当 / 阪本)