百人一首の風景               94    95
百人一首の風景 奈良県吉野郡 吉野山 秋
94参議雅経 み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり

阪本桃水(純子)書
歌意
吉野山の秋風が夜更けて吹き、古都吉野には寒々と衣を打つ音が聞こえてくる。
参議雅経(藤原雅経)作(新古今集 秋下)

ゆかりの地
吉野の里は、今の奈良県吉野地方。桜の名所として名高いが、春の訪れの遅い土地、雪深い里としても和歌によく詠まれています。また、古い由緒をもつ、王朝人たちの「ふるさと」でもある。
作者プロフィール
参議雅経
1170年~1221年
本名は、藤原雅経。藤原頼経の子で、「新古今和歌集」の撰者の一人。けまりの家として有名な、飛鳥井家をおこす。

歌碑

歌碑裏面

歌碑

竹林院山門

群芳園頂上広場

吉野川

蔵王堂

吉野山

歌碑(二尊院門前長神の杜)

歌碑説明碑

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
参議雅経(小倉百人一首)
本名は、飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期の公家・歌人。刑部卿・難波頼経の次男。二条または明日香井を号す。飛鳥井家の祖。

その生涯は?
1180年叙爵し、以後侍従などを歴任するが、源頼朝・義経兄弟が対立した際に義経と親しかった父・頼経が配流され、雅経も連座して鎌倉に護送される。だが、雅経は頼朝から和歌・蹴鞠の才能を高く評価され、頼朝の息子である頼家・実朝とも深く親交を結んだ。その結果、頼朝から猶子として迎えられ、更に鎌倉幕府政所別当・大江広元の娘を妻とするなど重んじられた。1197年に罪を許されて帰京する際には、頼朝から様々な贈物を与えられた。
その後、後鳥羽上皇の近臣として重んじられ、1218年には従三位に叙せられ、1220年には参議に任命された。また、院における歌壇でも活躍している。和歌は秀句を好み、後鳥羽上皇に「雅経は、殊に案じかへりて歌詠みしものなり(=雅経はとりわけあれこれ思いめぐらして歌を詠む者である)」と評されたが、本歌のことばをとりすぎるという批判もあった。
1201年7月和歌所寄人となり、また同年11月には上古以来の和歌を撰進する。更にこれを機に始まった勅撰和歌集『新古今和歌集』1205年奏進)の撰者の一人となった。更に蹴鞠でも重んじられ、1208年に大炊御門頼実が後鳥羽上皇を招いて開いた鞠会で優れた才能を発揮して、上皇から「蹴鞠長者」の称号を与えられた。後に雅経は飛鳥井流蹴鞠の祖とされ、『蹴鞠(しゅうきく)略記』などを著した。また、鎌倉幕府の招きによって鎌倉へ度々下向し、3代将軍になった実朝と藤原定家・鴨長明との間を取り持っている。

竹林院とは
竹林院(ちくりんいん)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある単立の寺院。本尊は不動明王、蔵王権現、役行者、弘法大師。大峯山寺の護持院の1つである。宿坊竹林院群芳園で知られる。
群芳園
大和三庭園の一つとされる回遊式庭園。千利休の作、細川幽斎の改修と伝わる。
歴史上の竹林院は
寺伝によれば、聖徳太子が開創して椿山寺と号し、その後810年~824年に空海が入り常泉寺と称したという。1385年に竹林院と改められた。戦国時代の院主尊祐は弓道に優れ一派をなした。明治初年の神仏分離に伴い1874年廃寺となったが、その後天台宗の寺院として復興、第二次世界大戦後の1948年現在の修験道系統の単立寺院となった。役行者霊蹟札所。

竹林院玄関

群芳園

群芳園頂上広場

宿坊

竹林院庭園
吉野神宮(よしのじんぐう)所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山3226
吉野神宮は、奈良県吉野郡吉野町に鎮座する後醍醐天皇を祭神とする神社。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社である。旧社名 吉野宮。


南朝の後村上天皇は、父の後醍醐天皇が1339年に崩御した後、その像を吉水院に安置した。以降、仏教式の供養が行われていたが、明治時代に入って神仏分離により1873年に吉水院を後醍醐天皇社という神社に改めた。2年後に吉水神社と改称して後醍醐天皇を祭神とする神社となった。このとき太政官政府は官費(国費)で別の神社を創建する考えを表明したが、そのまま棚上げになって時が経った。

1889年6月22日に、後醍醐天皇を祀る官幣中社吉野宮の創建が、明治天皇の意向で決定した。1892年に社殿が竣工して、吉水神社から後醍醐天皇像を移して遷座祭が斎行された。1901年に官幣大社に昇格し、1918年に吉野神宮に改称した。

本殿・拝殿・神門はかつて後醍醐天皇が京都の御所へ帰還される事を熱望されていた心情を汲んで、京都の方角を向き、北向きに建てられている。
国軸山金峯山寺
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得。この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀される。これが金峯山寺の開創と伝えられている。  明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤し、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っている。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号し、平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産に登録された。

蔵王堂
蔵王堂(ざおうどう)は蔵王権現をまつる仏堂のこと。
奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺の本堂(国宝)
上記の金峯山寺と奈良県吉野郡天川村大峰山にある大峯山寺のこと。
金峯山寺を「山下の蔵王堂」、大峯山寺を「山上の蔵王堂」と呼んだ。
お勧めの観光スポット
観光地
周辺情報
温 泉
宿 泊
お買物場所
随時お土産を紹介していきます。
お問い合わせ先
リストマーク 光情報株式会社
  〒636-0023
奈良県北葛城郡王寺町太子1丁目12番4号
TEL:0745-33-7232 FAx:0745-33-7233
(担当 / 阪本)