百人一首の風景              93    94
百人一首の風景 神奈川県 鎌倉 世の中は
93鎌倉右大臣 世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも

阪本桃水(純子)書
歌意
世の中は永久に変わらないものであってほしい。波打ちぎわを漕いで行く漁師の小舟が、綱手で陸から引かれている様子は、しみじみと心ひかれる光景である。

歌の背景
作者は、兄の頼家が殺されたため、12歳で鎌倉幕府3代将軍となる。しかし、28歳の正月に甥の公曉(くぎょう)によって暗殺される。争いの多かった時代に、自分の運命を予感して、両市の毎日変わらない生活がうらやましく感じられたのかもしれない。「常にもがもな」は、永遠に変わらないでいてほしいものだなぁということ。「かなし」は、しみじみと心を動かされるという意味である。
作者プロフィール
鎌倉右大臣
1192年~1219年
本名は、源実朝。源頼朝と北条政子の子。12歳で鎌倉幕府三代将軍となるが、28歳で暗殺される。


歌碑(立石町広場)

歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)
源 実朝は鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の四男(頼朝の子としては第6子で四男、政子の子としては第4子で次男)として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。
歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として金槐和歌集がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。
将軍就任
建久3年(1192年)8月9日巳の刻、源頼朝の次男として鎌倉名越の北条時政の屋敷・浜御所で生まれる。幼名は千幡。母は頼朝の流人時代に妻となっていた北条政子。乳母は政子の妹である阿波局が選ばれ、大弐局ら御所女房が介添えをした。千幡は若公として誕生から多くの儀式で祝われた。12月5日、頼朝は千幡を抱いて御家人の前に現れると、「みな意を一つにして将来を守護せよ」と述べ面々に千幡を抱かせた。
建久10年(1199年)に父・頼朝が薨去し、兄の頼家が将軍職を継ぐ。建仁3年(1203年)9月、比企能員の変により頼家は将軍職を失い伊豆国に追われた。母・政子らは朝廷に対して9月1日に頼家が死去したという虚偽の報告を行い、弟の千幡への家督継承の許可を求めた。これを受けた朝廷は7日に実朝を従五位下・征夷大将軍に補任した。 10月8日、遠江国において12歳で元服し、実朝と称した。儀式に参じた御家人は大江広元、小山朝政、安達景盛、和田義盛ら百余名で、理髪は祖父の北条時政、加冠は平賀義信が行った。24日にはかつて父の務めた右兵衛佐に任じられる。翌年、兄・頼家は北条氏の刺客により暗殺された。
元久元年(1204年)12月、京より坊門信清の娘・信子を正室に迎える。正室ははじめ足利義兼の娘が考えられていたが、実朝は許容せず使者を京に発し妻を求めた。 元久2年(1205年)1月5日に正五位下に叙され、29日には加賀介を兼ね右近衛権中将に任じられる。

Wikipediaより引用

新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)
新勅撰和歌集』は十三代集の最初、通算で第九勅撰和歌集。別名、宇治川集など。

貞永元年(1232年)6月13日、後堀河天皇の下命を受けた藤原定家が単独で撰し、上皇の死後も九条道家・教実父子の後援で編纂事業が引き継がれ、四条天皇代の文暦2年(1235年)3月12日、完成し奏上。仮名序も定家筆。20巻、伝本によって歌数が違うが、1370首強ある。部立は四季(春秋二巻、他一巻)・賀・羇旅・神祇・釈教・恋・雑(恋・雑共に五巻)の順に並び、従来の二十巻の勅撰集において独立した巻を持った哀傷・離別の項目が無く、それぞれ雑歌・羇旅に吸収されている。
最多入集歌人は藤原家隆(43首)で、九条良経(36首)、藤原俊成(35首)、西園寺公経(30首)、慈円(27首)、源実朝・九条道家(共に25首)、飛鳥井雅経(20首)がそれに次ぎ、定家が庇護を受けた九条家・西園寺家の貴顕(公経は定家の義弟にして、関白九条道家の岳父である)の入集が目立つ。ほかに北条泰時ら武家歌人の歌もある。承久の乱以後、流刑地にあった大歌人後鳥羽院と順徳院の歌を除外したのは、他ならぬ幕府への配慮であるが、藤原家隆・源実朝を高く評価する傍ら、自身の歌の入集を最小限に抑えた定家の態度は興味深い。
新勅撰集は華やかな新古今調から一転して平明枯淡な趣向に走り、定家晩年の好みを伺わせる。その保守的な歌風は二条派に「実」として尊重され、中世和歌の手本となった。

93 鎌倉右大臣   世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも
96 入道前太政大臣 花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
97 藤原定家    来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
98 従二位藤原家隆 風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける
写真撮影

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