百人一首の風景                90    91
百人一首の風景 殷富門院大輔 宮城県松島 恋 雄島 千載集
90殷富門院大輔 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかわらず

阪本桃水(純子)書
歌意
あなたにお見せしたいものです。血の涙に濡れて色が変わった私の袖の色を。あの松島の雄島の漁師の袖さえも、どんなに波しぶきでぬれても、色までは変わらないのに。

雄島とあま
雄島は宮城県松島にある島である。源重之と殷富門院大輔が詠んでから、歌の中によまれる「歌枕」になった。「あま(海士)」というのは漁師のことである。
作者プロフィール
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)
藤原信成の娘。後白河天皇の第1皇女。亮子内親王(殷富門院)に仕えた。1192年に殷富門院に従って出家した。
歌碑 殷富門院大輔
歌碑 百人一首殷富門院大輔

歌碑説明文

歌碑 小倉百人一首文化財団建立(嵐山東公園)
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)
殷富門院大輔(生没年不詳:1130年頃 から1200年頃)は、平安時代末期に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。父は藤原北家勧修寺流従五位下藤原信成。母は従四位式部大輔菅原在良の娘。一説に道尊僧正の母ともされる。

経歴
若い頃から後白河院の第1皇女・殷富門院(亮子内親王)に出仕、それに伴い歌壇で長年にわたり活躍した。俊恵が白川の自坊で主宰した歌林苑(宮廷歌人の集まり)のメンバーでもあり、藤原定家寂蓮西行源頼政など多くの歌人と交際があった。また、文治3年(1187年)の百首歌等、自ら主催して定数歌や歌会の催しを行うこともあった。建久3年(1192年)の殷富門院出家に伴って自らも出家したとされる。私家集である『殷富門院大輔集』、及び『千載和歌集』以降の勅撰集、その他私撰集等に多数の作品を残している。

雄島(おしま)JR仙石線松島海岸駅徒歩6分。浪打浜駐車場そば。
朱塗りの渡月橋を渡ると、108の岩窟があったといわれる雄島。現在は50程度しか残っていないが、その昔、死者の浄土往生を祈念した石の塔婆である板碑、岩窟の中には五輪塔や壁面に法名の彫られたものが多く、霊地の感がある。
中世の松島は「奥州の高野」と称される死者供養の霊場であったといわれる。 橋を渡り道を左に曲がって短いトンネルをくぐると、三方に岩窟のある崖とわずかばかりの平地がある。ここは見仏上人が、法華経60,000部を読誦した見仏堂の跡で、奥の院といわれた場所。現在でも薄暗く、見仏上人は、この場所で12年間もの長きにわたって修行を続けたそうである。また、江戸後期のころ、江戸からの便船が暴風に巻き込まれ、乗り合わせていた白キツネに救われた話をもとに、 海難防止の守り神・新右衛門稲荷が祀られている。

写真撮影

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