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百人一首の風景 奈良県 平城京 かささぎ 冬
6中納言家持 かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

阪本桃水(純子)書
歌意
冬の夜、カササギが翼をつらねて天の川にわたしたという橋に霜が降りて、真っ白なのを見ると、いつのまにか夜もすっかりふけたことだなと感じます。
平城京の建物と建物をつなぐ階段は、天の川にカササギが渡した橋にたとえられていた。

平城京大極殿
作者プロフィール
中納言家持(大伴家持)
718年~785年
本名は、大伴家持、大伴旅人の子。「万葉集」には、最も多い473首が収録されている。三十六歌仙の一人。

歌の背景
「かささぎの橋」は七夕の話に出てくる橋。中国では七夕の日、カササギが天の川に翼を広げて橋になり、織姫が彦星のところへ行けるようにしたという伝説がある。
平城京の建物と建物をつなぐ階段は、天の川にカササギがわたした橋に例えられていた。
ある夜、宮中の警護をしていたいた時、階段に霜が降りているのを見て、七夕の伝説を思い出したのであろう。

歌碑(長神の杜)

歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

大伴 家持(おおとも の やかもち)
大伴 家持(養老2年(718年)頃~ 延暦4年8月28日(785年10月5日)は奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。

経歴
父・旅人が大宰帥として大宰府に赴任する際には、母・丹比郎女、弟・書持とともに任地に従っている。後に母を亡くし、西下してきた叔母の大伴坂上郎女に育てられた。天平2年(730年)旅人とともに帰京。
天平10年(738年)に内舎人と見え、天平12年(740年)藤原広嗣の乱の平定を祈願する聖武天皇の伊勢行幸に従駕。天平17年(745年)に従五位下に叙せられる。天平18年(746年)3月に宮内少輔、6月に越中守に任ぜられ、天平勝宝3年(751年)まで赴任。この間に223首の歌を詠んだ。
『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残す。天平の政争を生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。

Wikipediaより引用

写真撮影

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(担当 / 阪本)