百人一首の風景                37    38
百人一首の風景 京都市 秋の野 後撰集
37文屋朝康 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

阪本桃水(純子)書
歌意
白く光るつゆに風が吹きつける秋の野原は、ちょうど緒に貫きとめない玉が、散り乱れているようだ。


背景
白く輝く露が、きらきら光ながら、ころころと転がっている様子が情景が目に浮かぶような和歌。秋の日に、こんな光景を探してみてくださいね。

作者プロフィール
文屋朝康
文屋康秀の子。歌の才能は広く認められていた。

文屋 朝康(ふんや の あさやす)
文屋 朝康(生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。六歌仙・中古三十六歌仙の一人、文屋康秀の子。子に康永がいる。従六位下・大舎人大允。

892年駿河掾、902年大舎人大允に任命されたことが知られる以外、伝記・経歴については不詳である。
文屋朝康は、今から1100年ほど前の下級官僚。第22番の歌人である文屋康秀(ふんやのやすひで)の息子といわれているが、その生涯はよくわかっていない。和歌を詠むのが上手であった。


歌碑建立 押立神社 滋賀県東近江市(旧愛知郡湖東町大字北菩提寺)07494-5-2094

押立神社
押立神社は祭神は火産霊神・伊邪那美命で、本殿は重要文化財。開基は奈良時代 後期といわれ、押立郷の総氏神で「大宮さん」の名で親しまれている。南北朝時代に 建立された大門と本殿は、国指定重要文化財である。

祭神2座のうち火産霊神は上古より押立山三瀬嶽に鎮座され、伊邪那美神は神護景雲元年に加賀白山より遷御されたもので、現に山上に本宮趾がある。天正元年神異あって一色字開運の文室康兼の邸に霊水が湧出したので権殿を設け運命水社を祀る。しかし、半年後に現在の社地に社殿を造営し押立総社押立大明神と称して尊崇するに至った。円融天皇しばしば祈願をされて勅額を献ぜられ、旧社地である押立山一里を社領とさた。順徳天皇は改典式を下賜、後光厳天皇の北辰拝賀奉幣、後円融の大修理の下知など朝廷の崇敬が篤かった。一方領主佐々木氏の供田の寄進、井伊家の社領御供田の寄進など、武家も崇敬の誠を捧げた。明治元年押立大明神を押立神社と改めた。その後においても有栖川宮幟仁親王御染筆の社号額の下賜があった。この間郷内にあった諸社を本社に合祀し大正9年県社に列せられた。(滋賀県神社庁資料より引用
所在地:〒 5270138 滋賀県東近江市北菩提寺町365

2015年9月7日写真撮影

嵐山公園野宮地区(歌碑小倉百人一首文化財団建立) 37文屋朝康 後撰集

歌碑

歌碑案内文

歌碑小倉百人一首文化財団建立後撰集ゾーン
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(担当 / 阪本)