百人一首の風景                87    88
百人一首の風景 京都市 むら雨 秋
87寂連法師 むら雨の つゆもまだ干ぬ まきの葉に きり立ちのぼる 秋の夕ぐれ

阪本桃水(純子)書
歌意
ひとしきり振ったにわか雨の露がまだかわかないうちに、杉や桧の葉のあたりに、霧が立ち上っている秋の夕暮れ時だなあ。

歌の背景
にわか雨が降った後の、秋の夕暮れの静かな風景を詠んだ歌。「雨」「つゆ」「きり」と天気に関する言葉が並べられている。
作者プロフィール
寂連法師
1139年~1202年
出家前の名は、藤原定長、皇太后宮大夫俊成の養子となった。

歌碑(長神の杜)
歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
寂蓮(じゃくれん)
寂蓮(1139年(保延5年)? - 1202年8月9日(建仁2年7月20日))は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。俗名は藤原定長。

略歴
僧俊海の子として生まれ、1150年(久安6年)頃叔父である藤原俊成の養子となり、長じて従五位上・中務少輔に至る。30歳代で出家、歌道に精進した。御子左家の中心歌人として活躍し、「六百番歌合」での顕昭との「独鈷鎌首論争」は有名である。1201年(建仁元年)和歌所寄人となり、『新古今和歌集』の撰者となるが、完成を待たず翌1202年(建仁2年)没した。
評価
後鳥羽院は、後鳥羽院御口伝において、「寂連は、なをざりならず歌詠みし物なり」、「折につけて、きと歌詠み、連歌し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるやうに詠みし方、真実の堪能と見えき」と様々な才能を絶賛している。また、鴨長明は無名抄の中で、世間では藤原隆信とは一対に評価されているが、六百番歌合の際、寂蓮は出家していて、時間的に余裕が出来ていたので、「たとしへなく勝りたりければ、其時より寂蓮左右なしといふ事になりにき」と評価が上がったとし、また、三体和歌において、長明自身の出詠歌を事前に見せた時に、同じ様な「高間の桜」を詠出していたが、文句も言わず「いと有難き心也かし」と人間性も評価している。 後の世において、新古今和歌集秋歌上の中の結句が「秋の夕暮」の三首並んだ、西行、定家と寂蓮の「さびしさは」を三夕と称し、茶具の銘などとしている。
Wikipediaより引用

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