百人一首の風景               9    10
百人一首の風景 京都市 宮中 花の色
9小野小町 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に

阪本桃水(純子)書
歌意
桜の花の色は、早くもあせてしまったことだなあ。咲いたかいもなく、この長雨が降り続いている間に、私の姿も衰えてしまったのだなあ。むなしい恋の思いに明け暮れて、ぼんやり物思いにふけっていた間に。

歌の背景
雨にうたれて色あせた桜に老いた自分の姿を重ね合わせた歌である。小野小町が大変な美女だったと伝わっていることもあって、この歌は年をとって容姿の衰えを嘆く、女性の心を表した歌として有名である。
作者プロフィール
小野小町
六歌仙の一人。秋田県湯沢市小野で生まれたといわれている。参議篁の親類、出羽国の役人小野良真の子と伝えられている。僧正遍昭や在原業平との恋話も有名。京都市左京区の補陀洛寺(小町寺)に小町の墓と伝えられる石塔が建っている。

長岡京市小倉山荘内
小野小町は、古代エジプトのクレオパトラや古代中国の楊貴妃とともに世界3大美女の一人として知られている。
しかし、その容姿はもちろん、人生は謎に包まれている。
年をとってからは寂しく過ごし、長生きして亡くなったとも言われている


小倉山荘庭園

歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
小野 小町(おの の こまち)
小野小町(生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

人物像
小野小町の詳しい系譜は不明である。彼女は絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、後世に能や浄瑠璃などの題材としても使われている。だが、当時の小野小町像とされる絵や彫像は現存せず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占め、素顔が描かれていない事が多い。美人すぎて正面から描けなかったようだ。
出自
系図集『尊卑分脈』によれば小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。また、数々の資料や諸説から生没年は天長2年(825年) - 昌泰3年(900年)の頃と考えられている。しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、他の史料には全く見当たらない。そればかりか、小野篁の生没年(延暦21年(802年) - 仁寿2年(853年))を考えると篁の孫とするには年代が合わない。
生誕地に纏わる伝承
生誕地については、伝承によると現在の秋田県湯沢市小野といわれており、晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えが残っている。
墓所
小野小町の物とされる墓も、全国に点在している。このため、どの墓が本物であるかは分かっていない。平安時代位までは貴族も風葬が一般的であり(皇族等は別として)、墓自体がない可能性も示唆される。
Wikipediaより引用)

ことばの意味
【花の色】・・・「花」とだけ書かれている場合、古典では「桜」を意味する。 「桜の花の色」は、「女性の若さ・美しさ」も暗示している。  
【うつりにけりな】  動詞「うつる」は花の色のことなので、「色あせる・衰える」というような意味。「な」は感動の助動詞で、「色あせ衰えて  しまったなあ」という意味になる。
【いたづらに】・・・「むだに」や「むなしく」という意味で形容動詞「いたづらなり」 の連用形。
【世にふる】・・・ここでの「世」は「世代」という意味と「男女の仲」という二重の意味が掛けてある掛詞。さらに「ふる」も「降る(雨が降る)」と「経る(経過する)」が掛けてあり、「ずっと降り続く雨」と「年をとっていく私」の二重の意味が含まれている。
【ながめせしまに】・・・「眺め」は「物思い」という意味と「長雨」の掛詞で、「物思いにふけっている間に」と「長雨がしている間に」という二重の意 味がある。さらに「ながめせしまに → 我が身世にふる」 と上に続く倒置法になっている。 

桜の歌
桜を愛でることは万葉の時代からはじまり、万葉集には40首あまりの桜の歌が詠まれているが、その数は梅を詠ったものよりもはるかに少ない。
桜の人気が高まってきたのは平安時代で、多くの歌が詠まれている。
・小野小町(おののこまち)「花の色は 移りにけりないたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」 
・紀友則(きのとものり)「ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花ぞ散るらむ」 
その時代の桜は、もちろん野生のヤマザクラなどであるが、花言葉は「純潔」、「精神美」、「優れた美人」などである。

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