百人一首の風景                81    82
百人一首の風景 後徳大寺左大臣 京都市 ほととぎす 夏 千載集
81後徳大寺左大臣 ほととぎす 鳴きつるかたを ながむれば ただありあけの 月ぞ残れる

阪本桃水(純子)書
歌意
ほととぎすが鳴いたと思って、その方角を眺めると、すでにほととぎすの姿は見えず、ただ有り明の月だけが残っているだけでした。



歌の背景
前半では「耳をすまして聞いた音(ほととぎすの声)」、後半では「目をこらして見た風景(ありあけの月)」を表現している。
ホトトギスは、5月以降に日本に渡ってくるので、夏を知らせる鳥として有名。
作者プロフィール
後徳大寺左大臣
1139年~1191年
藤原公能の長男、詩歌や管弦にも優れていた。


歌碑

嵐山東公園千載集ゾーン
徳大寺 実定(とくだいじ さねさだ)
徳大寺 実定は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。右大臣・徳大寺公能の長男。官位は正二位・左大臣。後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん)として知られる。

来歴
1141年に3歳で叙爵(『公卿補任』)、1144年3月2日に叔母の夫にあたる藤原頼長の邸で元服する。以降、順調に昇進を重ねて、保元元年(1156年)9月に左近衛権中将に任ぜられ、11月9日に従三位に叙されて公卿に列した。保元3年(1158年)に正三位権中納言に任ぜられた。この年、後白河天皇の姉である統子内親王が皇后とされると、皇后宮権大夫に任ぜられた。永暦元年(1160年)に正官の中納言に転じた。長寛2年(1164年)には権大納言へ昇り、翌永万元年(1165年)これを辞して正二位に叙されている。
寿永2年(1183年)には内大臣となる。
文治元年(1185年)10月、源義経と後白河法皇による源頼朝追討宣旨発給に一度は賛同したものの、翌月には義経は都落ちする。その後、意外にも他ならぬ頼朝の推挙で議奏公卿に指名された。文治2年(1186年)10月に右大臣、文治5年(1189年)7月には左大臣となり、九条兼実の片腕として朝幕間の取り次ぎに奔走した。「後徳大寺左大臣」は祖父の徳大寺実能が「徳大寺左大臣」として知られていたことに由来する。
だが、左大臣就任後は、病気がちとなり、大臣の辞任を引換に後継者である三男公継の参議任命を望むようになる。建久2年(1191年)6月20日、病のため官を辞して出家、法名は如円。7月17日に実定の希望通りに公継が参議に任ぜられた。同年閏12月16日に薨去した。享年53。
Wikipediaより引用

写真撮影

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