百人一首の風景              96    97
百人一首の風景 京都市 北山 西園寺(現金閣寺)
96入道前太政大臣 花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

阪本桃水(純子)書
歌意
花を誘って散らせる強い風の吹く庭にふるのは、花吹雪ではなく、古くなって年をとっていく私の身であることよ。
豪華な遊宴、花吹雪の庭、一転して老いを嘆く老人の悲しみを詠った。
痛ましい乱世の転変の中を生き抜いて、太政大臣の権勢と豪華をほしいままにしたが、老いの到来は自分の思うままにはならなかった。

歌の背景
作者は、権力や富を手に入れたものの、花の散る光景を見て、自分が年老いていくのをはかなく感じたのであろう。
作者プロフィール
入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)
1171年~1244年
本名は藤原公経(きんつね)。華やかな生活をおく、り西園寺を建てた。61歳で出家する。


歌碑(立石町広場)

歌碑案内文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

西園寺 公経(さいおんじ きんつね)
西園寺 公経(正字体:西園寺公經)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。西園寺家の実質的な祖とされている。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経・関白二条良実・後嵯峨天皇の中宮姞子の祖父、四条天皇・後深草天皇・亀山天皇・5代将軍藤原頼嗣の曾祖父となった稀有な人物である。また、姉は藤原定家の後妻で、定家の義弟でもある。小倉百人一首では入道前太政大臣。

来歴
治承3年(1179年)従五位上、養和元年(1181年)侍従、寿永2年(1183年)正五位下、文治元年(1185年)越前権介、左少将、同2年(1186年)備前介、同3年(1187年)従四位下、同5年(1189年)讃岐権介、建久元年(1190年)正四位下、同4年(1193年)左中将、同7年(1196年)蔵人頭と昇進。同9年(1198年)、従三位参議に就き公卿に列する。正治2年(1200年)兼越前権守、建仁元年(1201年)正三位、同2年(1202年)権中納言、同3年(1203年)従二位、右衛門督、左衛門督、元久3年(1206年)中納言、建永2年(1207年)正二位権大納言、承元5年(1211年)兼中宮大夫(同年辞す)、建保6年(1218年)大納言となり、東宮大夫を兼ねる。
源頼朝の姉妹・坊門姫とその夫一条能保の間にできた全子を妻としていたこと、また自身も頼朝が厚遇した平頼盛の曾孫であることから、鎌倉幕府とは親しく、承久元年(1219年)に3代将軍実朝が暗殺された後は、外孫にあたる藤原頼経を将軍後継者として下向させる運動の中心人物となった。同年右大将、右馬寮御監。同3年(1221年)、承久の乱の際には後鳥羽上皇によって幽閉されるが、事前に乱の情報を幕府に知らせ幕府の勝利に貢献した。

Wikipediaより引用

写真撮影

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