百人一首の風景              84    85
百人一首の風景 京都市 ながらへば 昔をしのぶ
84藤原清輔朝臣 ながらへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

阪本桃水(純子)書
歌意
長く生きていればまた、今のつらいこともなつかしく思い出せるのでしょうか。つらく苦しいと思っていた昔の日々も、今は恋しく思い出されるのですから。
歌の背景
友人が出世できずに嘆いてるのを見て、作者が慰めた歌だと言われている。
作者は歌道の名高い家柄に生まれたが、若いころはつらい日々をおくっていたようである。
しかし、40代を過ぎてから二条天皇に信頼され、重要な仕事を任されるようになり、つらい時代を懐かしく思い出される日が来て、その実感を詠んだようである。
作者プロフィール
.藤原清輔朝臣
1104年~1177年
左京大夫顕輔の子。父と仲が悪く苦労が多かった。歌道の家六条家の中心となって活躍。

歌碑(長神の杜)

歌碑説明碑

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
藤原 清輔(ふじわら の きよすけ)
藤原 清輔(長治元年(1104年) - 治承元年6月20日(1177年7月17日))は、平安時代末期の公家・歌人。藤原北家魚名流、左京大夫・藤原顕輔の次男。官位は正四位下・太皇太后宮大進。初名は隆長。六条を号す。

経歴
天養元年(1144年)、崇徳上皇より父・顕輔が勅撰集『詞花和歌集』の撰集を命ぜられ、清輔もその補助に当たったが、顕輔と対立し、ほとんど清輔の意見は採用されなかったという。その後も父に疎まれ昇進面で支援を得られなかったためか、40歳代後半まで位階は従五位下に留まった。
二条天皇に重用され『続詞花和歌集』を撰したが、奏覧前に天皇が崩御し勅撰和歌集にならなかった。久寿2年(1155年)、父から人麻呂影供(ひとまろえいぐ)を伝授され、六条藤家を継ぐ。御子左家の藤原俊成に対抗した。
保元元年(1156年)従四位下。のち太皇太后宮大進に任ぜられ、藤原多子に仕えた。共に仕えた同僚平経盛とは弟・重家と共に親密な交流を持った。
Wikipediaより引用

写真撮影

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