百人一首の風景               73    74
百人一首の風景 権中納言匡房 京都市内 桜 内大臣藤原師通の邸 後拾遺集
73権中納言匡房 たかさごの 尾のへの桜 咲にけり とやまのかすみ たたずもあらなむ

阪本桃水(純子)書
歌意
高い山の峰の桜が美しく咲いたことだ。あの桜をかくさないように、人里近い山の霞よどうか立たないでほしい。
内大臣藤原師通の邸に集まって酒を飲み、「遥望山桜」の題で詠んだ歌である。

歌の背景
「桜」と「かすみ」は、春を代表とするもの。両方の雄大な光景は、題に合った歌になっている。
題詠と叙景歌
決められた題によって歌をつくって競うことを「題詠」という。
「叙景歌」は季節ごとの自然や旅の風景などを詠んだ歌。叙景歌を得意とした歌人である。
作者プロフィール
権中納言匡房(まさふさ)
本名は大江匡房。大江匡衡と赤染衛門のひ孫。政治、漢学、和歌など広い分野で才能を発揮。

歌碑

歌碑説明文

小倉百人一首文化財団建立
大江 匡房(おおえ の まさふさ)権中納言匡房(百人一首)
大江 匡房
は、平安時代後期の公卿、儒学者、歌人。大学頭・大江成衡の子。官位は正二位・権中納言。江帥(ごうのそつ)と号す。藤原伊房・藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。
経歴
大江氏は古くから紀伝道を家学とする学者の家柄であり、匡房も幼少のころから文才があったと伝えられる。正房の詩文に関する自叙伝『暮年記』の中で「4歳の時始めて書を読み、8歳のときに史漢に通ひ、11歳の時に詩を賦して、世、神童と謂へり」と書いている。早くも天喜4年(1056年)16歳にして省試に合格して文章得業生に、康平元年(1058年)に対策に及第し、康平3年(1060年)には治部少丞・続いて式部少丞に任ぜられ、従五位下に叙せられた。
『続拾遺和歌集』(巻7 賀438)には匡房誕生時にまだ健在であった曾祖母の赤染衛門(匡衡の未亡人)が曾孫の誕生を喜ぶ和歌が載せられている。
Wikipediaより引用

写真撮影

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