百人一首の風景               79    80
百人一首の風景 秋風 月 新古今集 
79左京大夫顕輔 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ

阪本桃水(純子)書
歌意
秋風に吹かれてたなびいている雲の切れ目から、もれ出る月の光のすみきって明るいことよ。
月の光のすみきった美しさを軽快な調べでよんだ歌です。

歌の背景
月の光のすみきった美しさを軽快な調べで詠んだ歌である。秋風、雲、月光と、自然の風景が順番に出て来る事で、次第に目の前の風景が広がっていくようである。
この歌は、1150年に崇徳院にささげられた百首歌「久安百首」で披露されたものである。
作者プロフィール
左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)
1090年~1155年
本名は、藤原顕輔。歌道の六条家を創立した藤原顕季の子。歌会・歌合で活躍。「詞花和歌集」の撰者となる。

歌碑(長神の杜)

歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
藤原 顕輔(ふじわら の あきすけ)
藤原 顕輔(寛治4年(1090年) - 久寿2年5月7日(1155年6月8日))は、平安時代後期の公家・歌人。修理大夫・藤原顕季の三男。官位は正三位・左京大夫。六条と号す。小倉百人一首では左京大夫顕輔。
経歴
康和2年(1100年)1月に白河上皇の院判官代に任ぜられて以降、院の近臣として昇進した。加賀守や中務権大輔を経て、元永元年(1118年)12月正四位下に昇る。大治2年(1127年)1月、讒言により白河院の勘気を蒙って昇殿を止められたが、白河院崩御の翌年(1130年)関白藤原忠通の娘聖子が崇徳天皇の中宮に冊立されると、中宮亮となり官界に復帰。保延3年(1137年)10月従三位に叙せられて公卿に列し、同5年(1139年)1月左京大夫に任じられ、久安4年(1148年)7月正三位に至った。久寿2年(1155年)5月7日に薨去。享年66。
周辺に優れた歌人が多く、永久4年(1116年)の鳥羽殿北面歌合・六条宰相家歌合や久安6年(1150年)の「久安百首」など、多数の歌会・歌合で活躍し、父から六条藤家の象徴である人麻呂影供(ひとまろえいぐ)を受け継いだ。天養元年(1144年)6月に崇徳上皇から勅撰集撰進の命を受けて、仁平元年(1151年)に『詞花和歌集』を完成させ、奏覧に供した。
『金葉和歌集』(14首)以下の勅撰和歌集に84首が入集しており、家集には『左京大夫顕輔卿集(顕輔集)』がある。
Wikipediaより引用

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