百人一首の風景               12     13
百人一首の風景 天女 天つ風 冬
12僧正遍昭 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

阪本桃水(純子)書
歌意
大空を吹く風よ、天女が帰ろうとする雲間の通い路を雲を吹き寄せて、閉じてしまっておくれ。この舞が終わってもあの美しい天女の姿を、いましばらくこの地上にとどめて眺めようと思うから。

歌の背景
遍照が仁明天皇に仕えていたころ、宮中で行われた収穫を祝う儀式で「五節の舞」を見た時の歌。優雅に踊る娘たちの姿に仁明天皇は「天女のような乙女たちをいつまでも引き止めたいものだ」と言われた。その言葉に共感して、踊りが終わって、この歌を歌った。
五節の舞は、旧暦11月中旬に行われる新嘗祭の翌日、「豊明(とよのあかり)の節会(せちえ)」という行事の後に行われ
る舞。
作者プロフィール
僧正遍昭
816年~890年
出家前の名は、良峯宗貞。仁明天皇に仕えたが、天皇が亡くなったことを悲しんで、僧になった。三十六歌仙の一人。

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歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑説明文

歌碑小倉百人一首文化財団建立
遍昭(へんじょう)
遍昭弘仁7年(816年) - 寛平2年1月19日(890年2月12日))は、平安時代前期の僧・歌人。俗名は良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。大納言・良岑安世の八男。子に素性法師がいる。六歌仙および三十六歌仙の一人。官位は従五位上・左近衛少将。花山僧正とも号す。

経歴
仁明天皇の蔵人から、承和12年(845年)従五位下・左兵衛佐、承和13年(846年)左近衛少将兼備前介を経て、嘉祥2年(849年)蔵人頭に任ぜられる。嘉祥3年(850年)正月に従五位上に昇叙されるが、同年3月に寵遇を受けた仁明天皇の崩御により出家する。
円仁・円珍に師事。花山の元慶寺を建立し、貞観11年(869年)紫野の雲林院の別当を兼ねた。仁和元年(885年)に僧正となり、花山僧正と呼ばれるようになる。『日本三代実録』によれば、この年の12月18日に宮中仁寿殿において、光孝天皇主催による遍昭の70歳の賀が行われていることから、光孝天皇との和歌における師弟関係が推定されている。 京都市山科区北花山中道町に墓がある。
桓武天皇の孫という高貴な生まれであるにもかかわらず、出家して天台宗の僧侶となり僧正の職にまで昇ったこと、また、歌僧の先駆の一人であることなど、遍昭は説話の主人公として恰好の性格を備えた人物であった。在俗時代の色好みの逸話や、出家に際しその意志を妻にも告げなかった話は『大和物語』をはじめ、『今昔物語集』『宝物集』『十訓抄』などに見え、霊験あらたかな僧であった話も『今昔物語集』『続本朝往生伝』に記されている。江戸時代に製作された歌舞伎舞踊『積恋雪関扉』では良岑宗貞の名で登場。

Wikipediaより引用

2015年8月4日写真撮影

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