百人一首の風景                39    40
百人一首の風景 浅茅 恋歌 後撰集
39参議等 浅茅生の 小野のしのはら忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき

阪本桃水(純子)書
歌意
浅茅の生えている小野(野原)の篠原(細い竹の生えている原)の「しの」のように、自分の思いをかくして忍んでいても、思いがこらえきれません。どうしてあの人のことがこんなにも恋しいのでしょうか。

歌の背景
思いを外に出さずに、心の中に隠しておこうとしても、隠しきれずにあふれそうになる、そんな強い恋心を表現した歌である。
「忍ぶ」にはかくす、耐え忍ぶといった意味があり、つらい恋を、「しの」(細い竹)が生えたさびしい野原の風景に重ねている。
作者プロフィール
.参議等(さんぎひとし)
880年~951年
本名は、源等。嵯峨天皇のひ孫で、中納言希の子。

歌碑(嵐山野宮広場)

歌碑説明文

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
参議等(さんぎひとし)
源 等(みなもと の ひとし、元慶4年(880年) - 天暦5年3月10日(951年4月18日))は、平安時代前期から中期にかけての公家。嵯峨源氏、中納言・源希の次男。官位は正四位下・参議。小倉百人一首では参議等。

経歴
昌泰2年(899年)近江権少掾に任ぜられたのち、主殿助を経て、延喜4年(904年)従五位下に叙爵。以後、三河守・丹波守・美濃権守・備前守と地方官を歴任し、この間、治国の功労により延喜12年(912年)従五位上、延喜23年(923年)正五位下に昇叙され、同年10月には左中弁に補任されている。延長8年(930年)従四位下・大宰大弐に叙任。
朱雀朝では、弾正大弼・山城守・勘解由長官を歴任し、天慶6年(943年)従四位上・右大弁に叙任される。
村上天皇が即位した翌年の天暦元年(947年)参議に任ぜられ公卿に列す。天暦5年(951年)正月に正四位下に昇叙されるが、同時に議政官として兼帯していた右大弁・勘解由長官・讃岐守の官職を全て辞任し、同年3月10日に薨去。享年72。
勅撰歌人として『後撰和歌集』に4首が採録されている。百人一首に収録された歌は本歌取りである。
Wikipediaより引用

写真撮影
後撰和歌集7首 小倉百人一首文化財団建立 嵐山野宮(ののみや)広場 野宮神社前
後撰和歌集』(ごせんわかしゅう)は、村上天皇の下命によって編纂された二番目の勅撰和歌集。体裁は『古今和歌集』に倣い、春(上・中・下)、夏、秋(上・中・下)、冬、恋(六巻)、雑(四巻)、離別(附 羇旅)、賀歌(附 哀傷)の二十巻からなり、総歌数は1425首。離別歌と羇旅歌とを、賀歌と哀傷歌とを併せて収めた所が独特である。

天智天皇 秋の田の かりほのいほの とまをあらみ わが衣手は つゆにぬれつつ
10 蝉丸 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関
13 陽成院 筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
20 元良親王 わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
25 三条右大臣 名にし負わば あふ坂山の さねかづら 人に知られで、くるよしもがな
37 文屋朝康 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
39 参議等 浅茅生の 小野のしのはら忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき

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