百人一首の風景               29     30
百人一首の風景 白菊の花 秋
29凡河内躬恒 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花

阪本桃水(純子)書
歌意
あて推量で折るならば、折ることもできようか。初霜が一面に降りて、その白さで見分けがつかないようにしている白菊の花を。

歌の背景
「延命草」とよばれた「キク」
奈良時代に唐から輸入された「キク」は「延命草」とよばれ、酒にして飲むと、長生きの効き目があるといわれた。
後鳥羽院はこの花を愛し、刀や衣類、日用品にキクの花を図案にして入れ、その後、代々の天皇に継承され、キクの花は皇室の象徴となったのである。

作者プロフィール
.凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
下級役人だったが、和歌の才能に優れ、紀貫之らと並ぶ代表的な歌人。「古今和歌集」の撰者の一人。

歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑説明碑

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)
凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)
凡河内 躬恒(貞観元年(859年)~ 延長3年(925年))は、平安時代前期の歌人・官人。姓は宿禰。一説では淡路権掾・凡河内諶利の子。官位は六位・和泉大掾。三十六歌仙の一人。

経歴
寛平6年(894年)甲斐権少目、延喜7年(907年)丹波権大目、延喜11年(911年)和泉権掾、延喜21年(921年)淡路権掾に任ぜられるなど、宇多朝から醍醐朝にかけて地方官を歴任。延長3年(925年)和泉国から帰京してまもなく没したという。
歌人として、歌合や賀歌・屏風歌において活躍し、昌泰元年(898年)の「朱雀院女郎花合」に出詠して以降、延喜7年(907年)宇多法皇の大堰川行幸、延喜16年(916年)石山寺御幸、延喜21年(921年)春日社参詣などに供奉して和歌を詠進した。またこの間の延喜5年(905年)には、紀貫之・紀友則・壬生忠岑と共に『古今和歌集』の撰者に任じられている。
三十六歌仙の一人に数えられ、『古今和歌集』(58首)以下の勅撰和歌集に194首入集するなど、宮廷歌人としての名声は高い。家集に『躬恒集』がある。
なお、広峯神社祠官家である広峯氏は躬恒の末裔を称した
Wikipediaより引用

写真撮影

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