百人一首の風景                53    54
百人一首の風景 嘆きつつ 恋歌 拾遺集 蜻蛉日記
53右大将道綱母 嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る

阪本桃水(純子)書
歌意
あなたのおいでになるのを待ちこがれ、嘆きながらむなしくひとり寝るその夜が明けるまでの間は、どんなに長くつらいものであるか、あなたはご存知でしょうか。いいえ、ご存じではありますまい。

歌の背景
右大将道綱母は、藤原兼家と結婚。兼家には何人もの恋人がいた。やがてめったに道綱母のところへ来なくなってしまい、ある夜、他の人のところへ通っていた兼家が久し振りに訪ねて来たが、道綱母は門を開けずに追い帰してしまう。兼家はまた愛人のもとへ行ってしまった。その翌朝色あせたキクの花を添えておくったのが、この歌である。
作者プロフィール
.右大将道綱母
937年~995年
陸奥守藤原倫寧の娘。藤原兼家の第二夫人、藤原道綱を生む。その半生を「蜻蛉日記」につづった。

歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑説明文

.歌碑≪小倉百人一首文化財団建立)

藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは)
藤原道綱母(承平6年(936年)~ 長徳元年5月2日(995年6月2日))は、平安時代中期の歌人。藤原倫寧の娘。(『尊卑分脈』に「本朝第一美人三人内也(=日本で最も美しい女性三人のうちの一人である)」と書かれているが、尊卑分脈は間違いも多く真偽は不明)

藤原兼家の妻の一人となり一子道綱を儲けた。また、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取り養女にしている。兼家との結婚生活の様子などを『蜻蛉日記』につづった。晩年は摂政になった夫に省みられる事も少なく寂しい生活を送ったと言われているが詳細は不明。『蜻蛉日記』は没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。
小倉百人一首では右大将道綱母とされている。

Wikipediaより引用

写真撮影

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(担当 / 阪本)