百人一首の風景                40    41
百人一首の風景 忍ぶれど 恋の歌
40平 兼盛 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

阪本桃水(純子)書
歌意
人に知られまいとつつみかくしていたが、とうとう顔色に現れてしまったことだ、私の恋心は。「物思いをしているのか」と、人が尋ねるまでに。

歌の背景
村上天皇が960年に開いた「天徳内裏歌合」でよまれた歌である。「わが恋は」を上の句の最後に入れて、意味を強めている。この恋は、心の中に隠していたのに、悩みごとがあるのかと、人から尋ねられるほどになってしまったというのである。恋する男の抑えきれない気持ちを表している。
作者プロフィール
平兼盛
~990年
光孝天皇のひ孫である篤行王の子。「後撰和歌集」時代の代表的な歌人で、三十六歌仙の一人。

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歌碑 長岡京市小倉山荘内
天徳内裏歌合(宮中で行われた内裏歌合)
 平安時代や鎌倉時代には、歌人が「左」と「右」に分かれて、同じテーマで歌をよむ「歌合」がたびたび行われた。
 左右一組ずつの優劣を決め、最後に総合して勝負を決める。
 平兼盛と壬生忠見の歌は、「天徳内裏歌合」で対決したと言われる。
 壬生忠見「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」(百人一首41)


小倉山荘庭園

歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑説明碑

歌碑文(嵐山亀山公園)
平 兼盛(たいら の かねもり)
平 兼盛(生年不詳 - 正暦元年12月28日(991年1月16日))は、平安時代中期の歌人・貴族。臣籍降下前は兼盛王と称す。光孝源氏、大宰大弐・篤行王の三男。官位は従五位上・駿河守。三十六歌仙の一人。

経歴
文章生を経て、天慶9年(946年)従五位下に叙爵。天暦4年(950年)平朝臣姓を与えられて臣籍降下するとともに、越前権守に任ぜられる。応和元年(961年)山城介。応和3年(964年)大監物として京官に復し、康保3年(966年)従五位上に叙せられる。円融朝の天元2年(977年)駿河守に任ぜられ再び地方官に転じた。正暦元年(991年)12月28日卒去。享年は明らかでないが、父・篤行王の生没年を勘案すると80歳位まで生存したと推定される。最終官位は前駿河守従五位上。
Wikipediaより引用

写真撮影

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