聖徳太子ゆかりの地 瀬戸内 太山寺 香園寺 聖徳院
太山寺 愛媛県松山市太山寺町

聖徳太子堂
聖徳太子堂
伊予の国に来られた聖徳太子は、この寺と縁を結ばれた。境内の一角にある聖徳太子堂・夢殿には、法隆寺の夢殿にあるのと同じ聖徳太子像がおまつりされており、太子の聡明さにあやかろうという人々のお参りが多い。

法隆寺夢殿

聖徳太子座像
太山寺

太山寺の草創については、以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。飛鳥時代用明2年(586年)、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で大嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。長者は感謝し一宇建立の大願を起する。早速、豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、1日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にして建立したということである。

その後、天平11年(739年聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。なお、現本尊像(重要文化財)は平安時代後期の作である。また、本堂の奥中央の専用の厨子内に安置される十一面観音像(文化財指定なし)が孝謙天皇奉納像であると伝える。

現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年伊予国守護河野氏によって再建され、近世には松山城加藤氏の庇護を受けて栄えた。


山門

大山寺

本堂

聖徳太子堂

国宝本堂
道後温泉
聖徳太子と道後温泉
法興6年(596年)伊予の温泉を訪れた聖徳太子は、霊妙な温泉に深い感動を覚え、碑を建てた。その碑の復元された石碑が椿の湯の前にある。(所在地〒790-0842  愛媛県松山市道後湯之町19-22 椿の湯前)

『伊予風土記』では大国主命が長旅で病にかかった少彦名命を温泉であたため快復させたとあり、立ち上がった少彦名命の「足跡」と伝えられる跡が残っている。また、聖徳太子が病気療養のため道後温泉に滞在したことも記されており、太子は道後の風景と湯を称え、碑文を残したとされている。※「聖徳太子ゆかりの地 道後温泉」参照

香園寺 愛媛県西条市小松町
聖徳殿
香園寺は聖徳太子(574〜622)の開基という四国霊場屈指の古刹であり、一方、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えている。また、寺が創始した子安講の輪は、海外にまで広がり現在20.000人を超えている。
縁起によると、用明天皇(在位585〜87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。このときに、太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、また、天皇からは「教王院」の勅号を賜った。のち、天平年間(729〜49)には行基菩薩(668〜749)が訪ねている。

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香園寺(こうおんじ)
香園寺は、愛媛県西条市(旧周桑郡小松町)にある真言宗系の単立寺院(元御室派の寺院)。山号は栴檀山(せんだんさん)。院号は教王院(きょうおういん)。本尊大日如来四国八十八箇所霊場の第六十一番札所であり、子安大師の寺として親しまれている。

沿革

寺伝によれば、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立したという。天平年間(729年 - 749年)には行基が巡錫、大同年間には空海が本寺で護摩修法をしたとされる。

実際の創建年は不詳である。天正年間(1573年 - 1592年)兵火に遭って焼失したが、江戸時代に入り小松藩一柳氏の帰依を得て寛永年間(1624年 - 1644年)に再興されている。また古くは、高鴨神社別当寺であったとされる。


香園寺

本堂

聖徳殿

子安大師

栴檀山香園寺
聖徳院 香川県綾歌郡宇多津町

太子堂
聖徳太子
本尊である聖徳太子の二歳立像は日本三大太子の一つで鎌倉時代の最高の代表作である。
像高68cm本像は南無仏太子像ともいわれ、太子二歳の像で上半身を裸形にして下半身には長い緋の袴を着けた太子が、胸前で合掌する姿に造られいている。
これは鎌倉時代に聖徳太子信仰の昂まりとともに、「太子伝古今目録抄」などに記されるように太子が舎利を握って生まれ、二歳の時に東を向いて合掌し「南無仏」と唱えた時に、その舎利が初めて掌中から現れたことに基づいて造られた像である。
溌剌とした面相部や上半身の柔らかく張りのある肉身表現など、なかなか見事に表現されており、鎌倉時代末期から南北朝時代の作とみられる。
香川県内はもとより四国内でも、これほどの古作・優作の聖徳太子二歳像は知られず、また中世の讃岐における聖徳太子信仰の一端を知る上でも貴重な存在といえよう。

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聖徳太子立像
聖徳太子、菅公ゆかりの寺
天平八年開基、四国太子信仰の道場で、太子堂には日本最古の太子像(二歳立像)が祀られている。
仁和年中讃岐の国司であった菅原道真公がこの地を巡察されたところでもある。
文永年間空讃上人託鉢修行の帰り道、美しい女人が難産で苦しんでおられ、そこで祈祷したところ観音の化身現れ今までの苦しみがうそのように大成就された。それ以来西国二十一番穴穂寺の俗に子安観音聖観音の分身を勧請して開創。多くの奇跡を現し成就せしめた現世利益を授く寺である。
最近出雲一畑薬師四国分霊所になっている。
住 所〒769-0210 綾歌郡宇多津町1423の1
電 話0877-49-0829
参拝時間8:00~17:00
駐車場5台、大型バス 町役場前
トイレ有り

聖徳院

太子堂

聖徳太子二歳立像

聖徳太子像由来

鵜足の松
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