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阪本桃水の通信欄
阪本桃水は、現在97歳で、元気にいまでも現役で書道を教えています。
2014年2月5日に料紙にかな文字を書いているところを撮影しました。
2月2日に阪本桃水の近況についてメールで問合せがありましたので、
今回「阪本桃水の通信欄」のページを開設しました。
阪本桃水が95歳の時、「古典 雅のかな」(三十六歌仙歌集)2分冊
(縦とじ・横綴じ)を発行しました。
また、山中真由さん(愛媛大学教育学部付属中学校第二学年)がレポート
した「95歳の書道家 阪本桃水」が愛媛県教育委員会主催『小・中学生の
ふるさと学習作品展』の優秀賞を受賞。(平成25年10月27日)
95歳から始めた阪本桃水著「思ひ出の記」も紹介します。

阪本桃水著「古典 雅のかな」料紙(縦245mm×横364mm)三十六歌仙歌集
三十六歌仙  柿本人麿 紀貫之 凡河内躬恒 伊勢 大伴家持 山辺赤人 在原業平 僧正遍昭 素性法師 紀友則 猿丸大夫 小野小町 藤原兼輔
藤原朝忠 藤原敦忠 藤原高光 源公忠 壬生忠岑 斎宮女御 大中臣頼基 藤原敏行 源重之 源宗于 源信明 藤原清正 源順 藤原興風 清原元輔
坂上是則 藤原元真 小大君 藤原仲文 大中臣能宣 壬生忠見 平兼盛 中務
三十六歌仙ここをクリックして下さい。
りょうし【料紙】  文書をはじめ典籍,経典等の文字を書くときに使用する紙のこと。日本で用いられた料紙は,原料によって麻紙,楮(こうぞ)紙,斐(ひ)紙,三椏(みつまた)紙等がある。麻紙は白麻,黄麻を原料とした紙で,奈良時代から平安時代初期に多く用いられ,特に写経用として珍重された。コウゾは日本の各地に簇生し,これを原料としたのが楮紙である。原料が豊富でしかも繊維が強靱で実用性に富んでいるため,楮紙は古くから料紙の中心的地位を占めてきた。


私は仮名書道教室に通っており、偶然貴社の10周年を記念してwebに掲載することとなった「百人一首かな手本集 阪本桃水書」を見つけ、感動して拝見させていただいております。桃水先生のプロフィールで、アレ? と思ったことがあり、いろいろ調べても確かなことが分からないままの点があり、このメールでお聞きすることにしました。トップページに桃水先生のプロフィールが載っていますが、大正6年生まれとあり、プロフィールの右側には、現在91歳とあります。大正6年は、西暦1917年だから現在は97歳ということになります。現在91歳であれば、大正12年生まれということになります。桃水先生の生き方に触れ、苦労を乗り越えた華麗な仮名文字に感動しております。
それだけに、正しい情報を知りたいと思い、場違いな宛先かとは存じますが、ぜひご回答くだされば幸いです。    秋田県  播摩優子さんより2014.2.02

播摩優子様
おはようございます。
メール頂きありがとうございます。
阪本桃水は、現在97歳で、元気にいまでも現役で書道を教えています。
弊社は今年創立16周年を迎えることになります。阪本桃水は私の母で、感謝の気持ちで、6年前に弊社のHPで一般公開しました。
出典を明らかにしていただき、ご自由にお使い下さい。阪本光弘2014.2.02

早々のご回答有り難うございました。
実は、昨夜、この【百人一首かな手本集】のページを仮名書道教室の先生(三浦湯舟先生;秋田県書道連盟常任理事、六葉会会員)と教室の仲間の皆さんに紹介したくて、資料を作っていたところでした。
その時に、アレ?と思ってメールした次第です。
とてもよくできており、仮名書道を勉強している者にとっては、素晴らしい教科書になると思います。
お母様の桃水先生がいつまでもお元気でありますよう、ご祈念申し上げます。~秋田県  播摩 優子さんより2014.2.02

 
 

山中真由さん(愛媛大学教育学部付属中学校第二学年)がレポートした「95歳の書道家 阪本桃水」が愛媛県教育委員会主催『小中学生のふるさと学習作品展」の優秀賞を受賞。(平成25年10月27日)
阪本桃水著「思ひ出の記」
お誕生日おめでとうございます。
いつまでもお健やかで、私たちを
ご指導ください。11月24日 山中真由

おたんじょうびおめでとう
○これからもげんきにいてね。 ひかる
○おばあちゃん、おたんじょう日、おめでとう。
 これからもよろしくおねがいします。 昴
平成24年9月 私の一生もあと僅か。
大阪の出生地から阪本朋久郷里松山へ住みついた昭和初期から70年が経った。
長男禎造、次男光弘、三男典久、長女佳子全員元気で私を養ってくれている。
幸福な私達家族全員長生きして下さい。
お父さんが笑顔で見守ってくれてますよ。
平田福寿父岡山県新見、平田悦母大阪士族、住居大阪市天王寺区筆ヶ崎にて長女純子が生まれ、2年後長男和夫が生まれ、父は東平野第2小学校に教員をして居ました。近くの幼稚園で遊んでいた自分を覚えています。
その後上本町7丁目の祖父母と住む事になり、小学校は天王寺第六尋常小学校へ二人姉弟(純子五年、和夫三年)が
通い、五年生、弟が三年生の時、引越して、大軌電車、現在近鉄の花園へ移りました。父が結核となり、女学校一年の時亡くなり、母が鶴橋第一小の教員となり、私達を育ててくれました。次男も生れて一年生の中学生、長男は師範学校、私は大阪女子師範となり、祖母、母、三人の子供、五人家族が暮らしました。
その後、私は楽しい女師五年を終え卒業、南百済、東中本、桑津の小学校の教員を経て、終戦を迎え、大阪の高射砲隊から帰った主人朋久と会うことが出来ました。
禎造、光弘の二人を連れて主人の郷里、松山へと旅立ったのです。
四国の松山が主人の郷里で、新婚旅行も別府から高浜でをりて、伯父のナオル薬局で一泊をして、姉さんの長浜へも行きました。
松山市の石手で官営住宅で永住することになったのは、戦後二年、禎造、光弘を連れて行ったのです。石手川べりの住宅で十六年、小学校も道後小学校でした。
主人朋久は海産物屋に勤めた、あと土橋の中央市場に店をかまえ、店員三人で海産物屋を始めたのです。よく売れて繁昌し、子供も典久、佳子が生れて、私は家を守り、主人は財産を作り、阪本家はどんどん繁栄の道を進んで行きました。
昭和三十六年現在地竹原三丁目に百坪位の土地を農家から買い、立派な鉄筋の家屋を作りました。(47歳・43歳)
子供達4人はどんどん大きくなり、長男禎造は大学生、次男は高校、三男は中学、長女は付属、立派な学校ばかりでした。
一方、私は学校教師はあきらめ、自分が何でも習いに行きたかったです。先ず、料理は大手町、編み物は新聞社、書道は道後、毎日どこかへ行き、絵も教えてもらい、旅行もよく行った。ミシンも近くの家へ、忙しい毎日でした。大阪の母も家へ来てくれ何かと手伝って
くれました。
洗心書道会から一東書道会に入会して、自分も人に教える立場となって現在に至っています。
七十四歳にこの世から去った主人は信心を共にしている私の傍らに居てにっこり笑って
10 御宝前で見守って下さってます。
ありがとうございます
純子
11 平成二十五年
十一月二十三日第一信要組の御講の席主阪本純子、本日は天候もよし、昨日から光弘さんも来られて、一晩松山で過ごされた。
今日は十時半から信者さんの集いに賑わった。御導師が御講を始められ有難い。
千字文をお預けして御老尊にも見て頂ける。
12 大阪女師で私が書いた千字文、久しく大阪にあったのを光弘さんが持ってきてくれた。
今は仮名に熱中している純子だが、漢字も美しいものだ。生きている今になって見る事が出来てよかった。
平成二十五年十一月二十三日
明日二十四日は私の誕生日 九十六歳
13 お正月 平成二十六年一月一日
明けましておめでとう
14 午年の楽しい年賀状の中に、純子へ届いた年賀状。うれしいお返事を今日三日から書きます。
千字文 大阪女子師範 第3学年 桃水15歳 昭和8年 平田純子書
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アトリエ 
〒790-0053 愛媛県松山市竹原3丁目20-7
TEL/FAX 089-921-0489
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